体験談

    東尾理子さん「不妊」という言葉に違和感を感じた〜妊活振り返り1万字インタビュー

    公開日:2020.02.19 / 最終更新日:2020.09.10

    東尾理子さん「不妊」という言葉に違和感を感じた〜妊活振り返り1万字インタビュー

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    「TGP(Trying to Get Pregnant=妊娠しようと頑張っている)」という言葉を造り、ご自身の妊活をオープンにしていた東尾理子さん。東尾さんのブログや妊活メディア『赤ちゃんが欲しい(あかほし)』を通して、彼女の言葉に励まされた妊活女性は当時もいまも多いはずです。そんな理子さんは2018年に第3子をご出産! 3児のママとして輝きつづけています。これまでの妊活を振り返りながら、妊活中の考え方などについてお聞きしました。理子さんのナチュラルで前向きな姿勢に、妊活のヒントをたくさんもらえるはずです。

    体外受精を始めるまで

    2009年、34歳でご結婚されました。当初から子どもは何人欲しいといった話は、ご夫婦でされていたんですか?

    お互い、いずれ子どもは欲しいねとは言っていましたが、人数のことまでは考えていませんでした。「何人くらい欲しい」という会話もしたことはなかったです。
    結婚して半年たたないくらいの頃、検診を長く受けていなかったので、産婦人科に行くことにしたんですね。結婚したことだし、とりあえず検査だけひと通りやろうかなと思って。同じ検査をするんだったら、ついでに不妊検査もやってみようかな、という軽い気持ちでした。卵管造影検査とか、抗体検査とか、ひととおり検査をしましたが、とくに問題はなく、夫も私も年齢相応といった感じ。
    そのときに医師から「次は○日頃がタイミングですね」って言われたんです。今考えるとそれが治療のスタートだったと思うんですが、そんな感じで、いつの間にか治療が始まっていた感じでした。

    どんな治療をされたんでしょうか?

    最初は、本当にドクターに言われるがままに、治療をしていた感じです。
    まずはタイミング法を8回、その後、人工授精を6回。今振り返ると、のんびりしていたなと思うんですが(笑)、1年以上はタイミング法&人工授精を続けていました。
    あと、私の場合、排卵誘発剤が使えなかったんです。
    プロゴルファーにはドーピング検査があるので、薬を飲む時は1つ1つ確認しないといけないし、使ってはいけない薬もありました。その一つが排卵誘発剤。だから、私は人工授精では何も薬を使うことができなかったんです。薬の問い合わせ専用の電話があったので、新しい薬を使うたびに、確認しながら服用しなければなりませんでした。
    タイミング法と人工授精を1年以上続けても妊娠せず、そのあたりから自分でも少しずつ勉強を始めていったように記憶しています。その頃私は35歳、夫が56歳だったんですが、そのくらいの年齢だったら、体外受精をしたほうがいいんじゃないかと気付いて。体外受精とか顕微授精とか、どんな治療なのかまだ全然わかっていなかったんですけどね(笑)。
    そのときに通っていたのは婦人科健診を受けた病院で、そこでは体外受精ができませんでした。先生も「そろそろ体外受精へ…」っておっしゃっていたので、病院に紹介していただいた、体外受精ができるクリニックへ転院することにしたんです。

    ブログでTGP(Trying to Get Pregnant=妊娠しようと頑張っている)という言葉を使って、治療をしていることをオープンにされたのも、この頃でした。

    不妊治療の「不」がつかない言葉ならなんでもよかったんですよ。
    「不妊治療」って「あなたは妊娠できませんよ、さぁどうしましょうか」って言われているみたいですよね。自分が発する言葉は自分が一番聞いていると思うので、「不妊治療」っていう言葉を使うたびに、自分自身に対して「あなたは妊娠できません」って言っているような気がして、いやだったんです。だから私は別の言葉を使うようにしていました。

    体外受精のために転院。でもまたすぐに転院!

    2011年35歳のときに、体外受精をするために転院されました。

    初めての体外受精では、卵は8個とれて6個受精、1個は胚盤胞になりました。その胚盤胞を戻したんですが、妊娠はしませんでした。
    実はこのときの治療、私には負担が大きかったんです。
    たとえば、採卵のとき麻酔をしますよね。これが本当につらくて、採卵後は2日くらいうずくまって寝込んでいたほどでした。たまたま合わなかったんだと思うんですが…。
    排卵誘発では、おなかが張って重くなってしまったり、病院でおしりに注射してもらったんですが、そこがすごくかゆくなってしまったり。だからその頃はずっとおしりをかいていました(笑)。

    体外受精を1回した後、またすぐ転院されたんですね。

    その頃、ブログで告知をして、妊活中の方を集めてお茶会をしていました。私のスケジュールに左右されてしまう、気まぐれなお茶会でしたが(笑)。
    そこで、「今、採卵してきたんです」っていう方がいらっしゃったんです。話を聞いてみたら、私の採卵方法と全然違っていて。採卵のときに麻酔を使わないし、排卵誘発剤も使わない自然周期の方法でした。そのとき初めて体外受精の治療法にもいろいろあるんだなと知ったし、私にはこっちの方法があっているのかもしれないと感じ始めました。
    あと、これはあくまで私の勝手な感覚なんですが、薬を使うと、薬が体から抜けるのに時間がかかるんじゃないかなと思っていて。だったら、自然周期の方法にトライしてから、薬を使う方法を試したほうがいいのかなと思いました。
    それで、すぐに転院することにしたんです。

    自然周期の体外受精はいかがでしたか?

    私にはすごくラクでしたね。365日開いている病院だったので、自分のスケジュールに合わせて行けるのもよかったです。
    でも、ここでもなかなかうまくいきませんでした。ほぼ毎月のように採卵していましたが、採卵をしても空砲だったり、採卵できても受精しなかったり。胚盤胞まで育たなかったことも何回もあります。
    頑張って採卵してるのにダメだと、もちろん落ち込むんですけど、しょうがないなって、切り替えていました。
    あと、旅行の計画をしたらそちらを優先すると決めていました。絶対に治療は続ける、採卵も続けるという気持ちはありましたが、年末は旅行することを決めていたので、採卵も移植もやりませんでしたね。治療のスケジュールを優先すると、何もできなくなっちゃうので。

    2012年3月。7回目の採卵、3回目の移植で妊娠されました。

    病院での妊娠判定の前日に、友達と格闘技を見に行く予定があって、格闘技でおもいっきり騒げるかどうかを調べるために前日に家で検査したんです。朝に検査薬を試したんですが何も線はでませんでした。「あーダメだったか」と思いブログにはその写真を載せて、その検査薬を捨てて出かけました。
    格闘技を応援した後に、ブログを見てみると、「線がうっすら見えます」っていうコメントがたくさん届いていて。「どういうことなんだろう?」と思い、帰ってゴミ箱に捨てていた検査薬をみたら、線がでていたんです。妊娠検査薬って線はでないものだと思っていたので(笑)、ちゃんと線は出るんだ!っていう驚きがありました(笑)。

    第1子妊娠のこと

    第1子の妊活中、なかなかうまくいかないときでも、心が折れなかったのはなぜですか?

    心が折れずに治療を続けられたのは、そのときに対して全力を注げていたからじゃないかな。ゴルフでも何でもそうなんですが、全力を注がずにダメだったら、悔いが残ると思うんですけど、それに全力を注いでダメだったのなら、もうしょうがないじゃないですか。
    だからダメだったときは、「妊活のために今できていないことって何だろう?」「何をやっていないかな?」というように、次に何をするべきか考えていました。ゴルフをやっていたときからのクセとか習慣みたいなものかもしれませんね。ゴルフも、練習しても結果が出ないときは出ませんから。

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    ○歳まで続けようとか、あと○回移植をするまで続けようとかは、考えていましたか?

    私はゴールを決めないタイプなんです。続けているうちに、お金か、体か、精神的なものか、どれかが根をあげるだろう、それが終わりだなと思っていました。
    遺伝子的には、夫にはすみれちゃんと(いしだ)壱成くんがいたし、私は一人っ子だけど、私が両親に「(残せなくて)ごめんね」って言えばいいかなって思っていました。

    第1子妊娠中にはクアトロ検査を受けたそうですが。

    ※クアトロ検査:妊婦さんから採血し、胎児がダウン症候群、18トリソミー、開放性神経管奇形である確率を算出する検査

    お医者さんからクアトロ検査の説明があったんですね。でも私、妊娠中のつわりがかなりひどくて、常に意識がもうろうとしているような感じだったんです。そんな状態だったので、説明を聞いたものの、よく考えずに「はい、やります」ってお返事していて。妊婦さん全員が受ける検査の一つだと思って受けたんですよね。

    検査結果は、陽性。そのときはどう感じましたか?

    80分の1の可能性があると言われましたが、羊水検査はしなかったです。周囲の人からは「一応検査して、知っておいたほうがいいんじゃないの?」と言われましたが、羊水検査をすると0.3%くらいの確率で流産する可能性があると聞き、それは絶対に嫌だったので。
    家族とも話し合いましたが、もしダウン症であったりということがわかったとしても、堕胎するという選択肢は絶対にない。だったら、羊水検査はしなくてもいいでしょって。家族は、私が頑固で、言いだしたら人の意見は聞かないことを知っているので、周りが引き下がるしかないですよね(笑)。
    その頃はまだ胎動もなくて、ただひどいつわりだけがある時期。でも、このことをきっかけに、「自分の中には新しい命があって、私がこの命を守っていくんだな」と感じることができました。

    37歳で無事出産されました。

    和痛分娩だったんですが、子宮口は開かない、頚管長は長いままという、“なかなか生まれません”っていうタイプで(笑)。産んだ時は普通の倍くらい出血したそうです。そしてその後に気持ち悪くなり、気を失って2~3時間寝ていました。なかなか大変なお産でしたね。

    第2子の妊活と化学流産

    39歳のときに、2人目の妊活を宣言されました。いつ頃から考えられていたんですか?

    理汰郎が育っていく姿がかわいくて、次第に「もう1人欲しいな」と思うようになっていきました。授乳を2年弱くらい続けていたんですが、その間、生理はなかったので、まずは断乳して。病院に聞くと、断乳して2回生理がきてから来てくださいと言われましたね。

    2人目はとりあえずタイミングで試してみよう、とは考えませんでしたか?

    なんの迷いもなく、体外受精からスタートしました。理汰郎を妊娠したときよりも、確実に年はとっているわけで、タイミング法は全く考えませんでした。
    それに病院に行ったものの、すぐに治療を始められるわけではなかったんです。風疹の抗体が減っているから、予防接種をし直したり、甲状腺の数値も悪くなっていて薬を飲まなければならなかったり…。病院へ行き始めてから、半年くらいは本格的な治療はできませんでした。

    2人目の妊活は、1人目のときとは違いましたか?

    1人目のときは、家でお灸をしたりして自分の体づくりができましたが、2人目妊活は子育てが忙しくて、自分の体づくりは何もできなかったですね。子連れで病院へは行けなかったので、病院に通うスケジュールをやりくりするのだけでやっと、という感じでした。
    2人目の治療でも、卵がとれなかったり、胚盤胞まで育たなかったりっていうのは同じです。そもそも、2人目の治療を始めたときから、スムーズに妊娠できるとは思っていませんでした。高度生殖医療をしているんだから妊娠できるんじゃないかという期待は、1人目よりもずいぶん低かったと思います。そうだよね、うまくいくわけないよねって(笑)。

    この頃、化学流産を経験されたそうですね。落ち込むことはなかったですか?

    ※化学流産:受精したが着床しなかったか、着床してすぐに成長が止まり、妊娠に至らなかった状態のこと

    着床してやった!うれしい!って思ったんですが、でも流産で…。2カ月くらいは間をあけなきゃといけないと言われて、そのショックのほうが大きかったです。だって、年齢があがるほど妊娠する確率は下がってきますから。治療を早く進めたいと思っているときに、2カ月間、足ぶみっていうのはすごく長く感じました。
    ただ、自分なりに落ち込んでいたのかなとも思います。ちょうど11月の紅葉シーズンだったんですけど、ふらっと京都へ行って、ふらっと帰ってきたことがありました。きっと気分転換したかったんでしょうね。理汰郎は2歳くらいで、子どもを連れて京都に行くなんて、大変な時期だったんですけど。

    落ち込んで、誰かにあたるということはなかったんですか?

    それはないですね。私の気分転換の方法があるとしたら、その場から離れることかな。旅行もそうですよね。あとは、お酒も飲めないし…ふて寝することくらいですかね(笑)。

    最高に幸せな第2子の出産

    東尾さん40歳のときに、第2子の妊娠が判明、41歳で出産されました。

    2人目は無痛分娩だったんです。最高に幸せなお産でした。本当によかったです。条件がそろって、無痛ができる環境であるならば、おすすめしたいくらい。回復具合も違うんですよ。余力が残っている感じで。産み終わってから大変な育児が始まりますから、できるだけ早く回復したほうがいいですよね。

    理汰郎くんのときの出産は大変だったようですが、2人目は順調だったんですか?

    1人目と同じく、子宮口がなかなか開かなくて、結局、計画分娩になったんですね。前日からバルーンを入れて、翌朝から促進剤を打って、麻酔をして1人目の和痛分娩のときは、陣痛と陣痛の間は寝ないでくださいって言われたんですけど、無痛分娩の先生は「ゆっくり休んで、眠かったから寝てていいですよ」っていう感じなんです。陣痛が来てるのは分かるんですけど、痛くないんですよね。

    理汰郎くんのときの出産とはかなり違っていたんですね。

    分娩中も、私、余裕がありすぎて、今から出てくるよっていうときに、自分でスマホ持って写真を撮ったんですよ(笑)。

    (ここでマネージャーさんから証言が。「“今、分娩台にいて、あと1時間程度ででてくると思う”ってLINEが届いたんですよ。誰がこのLINEを送ってきたの??って、事務所でびっくりしていました(笑)」)

    すごいですね(笑)。

    夫といとこが立ち会ってくれたんですが、2人のほうが緊張してるのがわかるんです。2人はそれぞれビデオとカメラを持ってたんですが、私はスマホを持って、あたふたしてる2人を撮るのが面白かったですね。
    赤ちゃんがでてきて、先生が「だんなさん、へその緒を切りますか?」って聞いたんですけど、夫は緊張して「いや、いいです」って言うので、「私が切る!」って言ったんです。だから私、自分で自分のへその緒を切ったんですよ(笑)。それくらい、自分のお産の状況を冷静に見られたんですよね。第1子のときは痛くて覚えていなかったことも、全部見ることができて。本当に楽しくて幸せで、最高なお産でした。
    身体がリラックスしているから、子宮口も開きやすくて、赤ちゃんもおりてきやすいでしょうね。「痛いー!」って言うと身体に力が入るから、手も握りますけど、リラックスすると手も開くじゃないですか。そんな感じで、すごくリラックスして産めました。
    ただ、後陣痛はものすごく痛かったです(笑)。2人目のほうが子宮の収縮が早いみたいで、めちゃくちゃ痛かったですね。1人目のあとは、授乳時のおっぱいの痛さにびっくりして、2人目のあとは、後陣痛の痛さにびっくりしました(笑)。

    第3子の妊娠は奇跡的!

    2017年11月、第3子の妊娠を発表されました。

    実は、夫も私もびっくりの妊娠でした。2人目の治療で凍結していた卵を戻して妊娠したんです。
    2人目も1人目と同様に自然周期の体外受精を行っていて、採卵しても必ず移植できるというわけではなかったので、採卵は毎月していたんですね。そのとき、うまく胚盤胞まで育った卵が1つだけ残って、凍結保存していました。
    2人目の授乳が終わったとき、この凍結していた1つの卵を、破棄するのか戻すのかという話になったんですが…私のなかでは破棄する選択はなかったんです。いつかタイミングが合ったときに、必ず戻してあげようと思っていました。

    凍結していた1つの卵を戻したら、奇跡的に妊娠されたと。

    そうです。私にとっては卵が採れることも、受精して胚盤胞まで育つことも数ヵ月に1度くらいのことだったのに、凍結していたたった1つの卵で妊娠したんですから、夫も私も本当にびっくりしました。
    しかもこの凍結卵は、2人目となる卵を移植した、同じ月に採卵したものなんです。この年齢になると着床率も低いし、流産率も高くなっているのに、ここまで順調に育っている。だから運命めいたものも感じましたね。
    夫は子どもは2人でいいと思ってたし、私も2人で満足していました。凍結卵がなければ第3子は考えていなかったです。

    妊娠がわかったときは、どう思われましたか?

    妊娠判定の日に血液検査をしたんですが、数値が低かったんですね。ドクターからは「着床はしているけれど、たぶんだめになるだろうと思います。次は2週間後くらいに来て欲しいんですが、その前にきっと生理がくるでしょう。でも一応診察には来てください」と言われました。私は着床したこと自体に驚いたし嬉しかったですが、数値が低いと聞いて、「まあ、そう簡単にうまくはいかないよね」と思って、半ばあきらめ気味でした。
    その後、すぐに子どもの夏休みに突入したので、子どもと一緒に川に飛び込んだり、ラフティングをしたり、かなり激しい夏休みを過ごしまして(笑)。他のお母さんたちはボートには乗ってても濡れないようにされる方が多い中、私はしっかりと川に入って遊んで。


    2週間後に診察に行ったところドクターが「血液検査の数値が伸びてます」っておっしゃるんです。胎のうを確認したところ、「あ、ありますね」みたいな感じで(笑)。
    うれしいというより、本当にびっくりでした。周囲に報告しても、「おめでとう」っていう言葉よりも「え?あ?なに?」っていう言葉が出て、しばらくしてから、「あ、おめでとう」っていうリアクションが多かったです。
    だって、妊娠初期の大事な時期に、私は川に入って激しく体を動かしてたんですよ。一緒に旅行に行っていた人たちも「川に入ってたよね?」とか「岩から飛び込んでたよね?」って言われて、驚かれました。本当に強い生命力を持った子だなと、夫も私も感じています。

    ダメだったとき、夫は私より残念がっていました

    「頑張っても妊娠しなかったら、私の人生はどうなるんだろう?」というような、漠然とした不安はなかったですか?

    子どもがいなくても、他にたくさん楽しむことがあるだろうなと思って、あまり先のことを不安視しませんでした。
    結婚するときも「浮気されるの心配じゃない?」とか「介護と育児が一緒に来るよ」とか、仲のいい友達から助言をもらったんですけど(笑)。でも、そうなるかどうかわからない未来を、自分で勝手に作り上げて不安視するのって、時間と労力の無駄でしょう。同じ時間を過ごすなら、楽しい思いをして、幸せなことをして、ハッピーでいたほうがいいですから。

    夫は妊活には協力的でしたか?

    「やりたいようにやってくれればいいよ」っていうスタンスでしたね。私のほうが体の負担が大きくなりますし。夫は自分から知識を得ようとするタイプではなかったので、私が全部教えていました。
    2つめの病院を変えるときには、「もうしばらくは変えないほうがいいんじゃない?」って言われましたが、私が「変える!」って決めました。私が人から言われて、意見を変えることは、まずないんです(笑)。
    家事は私がお願いしたことはやってくれました。自らやることはないですけど、お願いしたことは断らずにやってくれるので、ありがたかったです。

    夫に対して、どうして自ら気付いて進んでやってくれないの?という不満はなかったですか?

    やらないものはしょうがないですよ。そこはもう求めません(笑)。人に期待しないって言ったら変ですが、人を動かして自分を幸せにすることはしないようにしているんです。自分の考え方や、やり方で自分を満足させられればいいかなと。だから私は自分の想いをしっかり伝えますし、我慢せずになんでも言います。
    たとえば、夫に自己注射を打ってもらったこともそう。自分でやったほうが痛くないし、楽だったんですけど、この気持ちを味わって欲しいと思って、経験として1回だけお願いしました。彼も嫌がらずにやってくれましたね。あと病院へ胚盤胞に育ったかどうかの結果を聞く電話をかけてもらったこともありました。でも電話のかけかたが下手で、最初に「石田純一ですけど…」ってまわりくどいんですよ。まあそれも経験だと思って、温かく見守っていましたが(笑)。

    妊活中、夫から励まされたことはありましたか?

    ダメだったときは、夫は私より残念がっていたと思います。私が夫に結果を伝える頃には、すでに時間がたってるので私の気持ちは次に向いているんですけど、彼は自分もショックだし、なんて声をかけていいかわからないようで…。言葉にならない言葉を一生懸命作ろうとしているのは伝わってきました。
    おいしいごはんを食べに行こうって誘ってくれたりして、彼なりに励まそうとしてくれていたと思いますね。

    妊活グッズ、子宝スポット…楽しいことだけを取り入れていました

    妊活中、ブログを通じてお茶会を開催されていましたよね。

    最初は「妊活に関する情報を集めたい」と思って始めたんですが、途中からは「この場を求めている女性がたくさんいるんだな」と感じて続けていました。お互いその場で知り合って、特に自己紹介もせずに別れてしまう方も大勢いましたから、身内、とくにパートナーの悪口も思いっきり言えるんですよ(笑)。もちろん、連絡先を交換して仲良くなった人もたくさんいるんですけど、強制的に自己紹介をするわけではなかったので、すごく盛り上がっていました。
    みんな話がしたいんだなって思いました。お茶会に来たときの表情と帰っていくときの表情が違うんです。みなさん、すごくいい顔をして帰っていかれる。だからいつも「やってよかったな」と思っていました。

    お茶会で得た情報は、活用されていたんですか?

    これがよかったと聞けば、一応全部やってみるんですが、自分には合わないと思ったら、すぐにやめていました。
    たとえば「漢方がいい」と聞けば、一度は飲んでみるんですけど、私には苦くて飲み続けられないと思ったので、すぐにやめました(笑)。他にもよいと聞いたサプリを飲んだんですが、私、それを飲んだら吐いてしまって。これだけ強い作用があるんだから、私には合わなかったけれど、きっと合う人がいるんだろうと思ったり。
    そうやって、合うもの・合わないものを自分で見定めていって、自分に合うものだけを都合よく取り入れていました。
    妊活に関しては、自分に素直になって、無理しませんでしたね。治療のためにスケジュールを強引にあわせることもしませんでしたし、休みたいと思ったら休んでいました。

    子宝グッズを持ったり子宝スポットへ行くことはありましたか?

    お茶会で、みなさんから子宝によいグッズをたくさんいただきました。子宝草とか、エケコ人形とか、こうのとりキティのストラップとか、妊娠してる友達が描いた赤富士とか。
    子宝神社などにも行きましたよ。自分の実家と夫の実家のお墓参りにも行きました。ただこれは旅行するいい理由で(笑)。両親からは「わざわざありがとう」って感謝されましたが、私にとってはすごく楽しかったし、いい思い出です。
    ハワイへ行けば、クカニロコ・バースストーンっていうパワースポットへ行きましたし、韓国へ行けばよもぎ蒸しをしました。そうやって楽しいことだけをやっていましたね。

    では妊活中にストレスを感じることはなかったんですか?

    そうですね…身体的なストレスとしては、体外受精で排卵誘発剤を使ったときがきつかったかな。心理的なストレスとしては、努力をしても報われないという理不尽さとか…そういう思いはたくさんあったと思います。

    そういったストレスはどうやって解消していたんですか?

    うーん…寝たりとか?(笑)。だって、どうしようもないですからね。自分の手に負えないものに対しては、もうしょうがない。そこは切り替えて「じゃあこの先どうしよう?」と常に考える。
    たとえば、コーヒーをこぼしたとします。「こぼしちゃった」って見ているだけではどうしようもないですよね。とりあえず拭くとか、次の行動をしなきゃいけない。ただ眺めていても染みこんで悪化していくだけですから。

    医師に言われるがままの治療は、一番もったいない!

    うまくいかなかったときは、どんなことを考えていたんですか?

    まだやっていないこと、できることは何かなって考えていました。次は漢方にトライしてみようと考えたり、鍼灸やホットヨガをやってみたり、ストラップをつけてみたり。でも一番続いたのは葉酸が入ってるサプリかな。鍼灸も続いたと思います。

    今日は鍼灸の日だから行かなきゃ!のようなプレッシャーはなかったんですか?

    なかったですね。鍼灸は施術を受ければ気持ちがいいし、行けるときに行っていただけだったので。面倒なのは続きませんから(笑)。

    では、これをやったから妊娠できたというのはありますか?

    あれば言いたいんですが…。ゴルフがうまくなりたいとか、英語をしゃべれるようになりたいとかなら、いっぱいあるんですけど、妊娠ってないんですよね。
    ただ、治療するにあたって、医師に言われるがままにするというのが、一番もったいないとは思います。日本には世界で一番多く不妊治療の病院があるんですから、治療しようって決断して始めたのなら、自分に合った病院を選んだり、医師を選んだりすることは、やらなければならないことだと思いますね。
    ドクターから言われるがままに進めて、結果がでないまま時間だけが過ぎたらもったいないでしょう? 先生がその人の人生の責任をとってくれるわけでもないですし。
    自分で情報を求めて勉強して、どういう治療法があるのかをテーブルに並べて、自分はこの治療をやってみたいです、って選んでいくべきだと思います。もし自分がやりたいと思った治療が、そのクリニックでできないのであれば、クリニックを変えていいんです。

    いろいろと調べると他のクリニックがよく見えてしまって、転院を悩むこともありますよね?

    転院したいと思ったら、すればいいと思いますよ。自分が後悔のないような行動をすればいいんじゃないかな。
    たとえば友達がそのクリニックで妊娠したからといって、自分も必ずそこで妊娠できるわけではないですが、試してみることが前進につながると思うんです。その人にとって効果があった治療が、自分にも絶対によい治療というわけでなくても、「試してみたい」という気持ちに動くということが、前進できる行動だと思います。
    だから、ときどき「転院で迷っています」という声を聞きますが「なぜ迷うの?」って思うんです。物理的に通いにくいクリニックへの転院なら、迷う気持ちもわかりますが、そうではないなら、自分がやってみたいという気持ちに素直になるべきだと思いますね。

    ものごとを前向きに考えるコツ

    妊活を通して得たものはありますか?

    私、自分が妊活で通院するまで、「子どもはいつつくるの?」とか「子どもはまだなの?」ということを平気で聞いていたんです。こういった会話はとてもセンシティブなことなのだということを、自分が病院通いして初めて知りました。
    自分の言葉によって、これまで人を傷つけてきたかもしれないと思うし、もうちょっと考えて話す必要があると感じるようになりましたね。
    自分が当たり前だと思っていることが、人によっては当たり前じゃないということは、妊活だけではなくて、さまざまな面であるのだろうという気付きを得たと思います。

    妊活で一番つらかったことは?

    どんな努力をしても、お金をかけても願いが叶わない場合があるということです。

    でも、そんなつらいなかでも、気持ちを前向きに切り替えられてこられました。

    そうじゃないときももちろんあったんでしょうけど、覚えていません。寝たら忘れるので(笑)。心は切り替えられるけれど、身体はコントロールできませんでした。だからすぐ病院を変えたんです。

    東尾さんとお話をしていると、すごく前向きだなと感じます。なぜそのように考えられるんですか?

    私、こういう話をさせていただくまで、自分が前向きだとは思っていなかったんです。妊活のインタビューを受けると「すごく前向きですね」って言われることが多くて、「私って前向きなんだ」と初めて知りました。
    「なんでだろう?」と考えてたどりついたのは、ゴルフでの練習です。ゴルフはミスショットをしても、すぐに忘れて頭を切り替えないといけません。球を打つ練習もたくさんしますが、そういったメンタルトレーニングもたくさんしてきたんです。
    たとえば、脳は、否定形を考えられないんですね。「右に打ちたくない」って考えたとしても、脳は否定形を考えられないから「右」という言葉しか残らない。だから右にいってしまいます。
    ダイエットのために「ケーキは食べない」って考えると、ケーキが食べたくなりませんか? 脳は否定形を考えられないから、残るのは「ケーキ」だけなんですよ。だから、そういうときは「ブロッコリーを食べる」「サラダを食べる」と考えれば、ケーキのイメージが消えるんです。
    ゴルフでそういう練習をしてきたので、「~できない」「~したくない」ではなくて、「~しよう」「~すべき」と、前向きに考える癖がついているんだと思いますね。

    では最後に、現在妊活中のに方にメッセージをお願いします。

    今、これを読まれているということは、妊活の情報を求めているということですよね。その時点ですごく頑張っている方だと思うので、頑張ってという言葉が一番いらない言葉だと思います。今努力している自分をほめてあげてほしいです。
    そして、男性のみなさん! 今自分が思っている100倍、奥さんにやさしくしてあげてください!(笑)。奥さんを「手伝う」んじゃなくて、「やる!」んです。「手伝う」っていう心構えがもうダメです。「手伝う」っていうその心を、奥さんは嫌がってますよ(笑)。

    Profile

    東尾 理子(ひがしお りこ)さん
    1975年11月18日生まれ。A型。元プロ野球選手の東尾修氏の長女でプロゴルファー。8才でゴルフを始め、アマチュアプレイヤーとして活躍。1999年8月にプロテストに合格。2009年12月には俳優・石田純一氏と結婚。2012年に長男、2016年に長女を出産、2018年4月に第3子を出産しました。

    『東尾理子 「不妊」じゃなくてTGP 私の妊活日記』

    (主婦の友社)
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