不妊治療を終え、特別養子縁組でママ&パパに。瀬奈じゅん&千田真司さん夫婦インタビュー|妊活webマガジン 赤ちゃんが欲しい(あかほし)
体験談
宝塚歌劇団月組のトップスターを経て、さまざまな舞台で活躍中の瀬奈じゅんさんが10歳下のダンサー、千田真司さんと結婚したのは38歳のとき。7回におよぶ体外受精を経て、いつしか妊娠することがゴールになっていたというふたりは2年半の治療にピリオドを打ち、特別養子縁組で生後5日の男の子を迎えました。過去の自分たちのように、不妊治療の暗いトンネルの中にいる人たちにふたりが伝えたいメッセージとは?
初めてお子さんと対面し抱っこしたときのエピソード、まもなく3歳のお子様との日常についても伺いました。
Family History
2012年
瀬奈さんが38歳の時に10歳下の俳優・ダンサー、千田さんと結婚
2015年
41歳の時、本格的に不妊治療をスタート。最初から体外受精にトライする。
治療を始めて半年後、千田さんから特別養子縁組を提案。
2016年
7回目の体外受精を終えて、不妊治療を終了。
民間のあっせん団体、ストークサポートに登録
2017年
43歳の時、同団体より生後5日の男の子を迎える。特別養子縁組の申し立て。
2018年
特別養子縁組成立。
公表後、夫妻で特別養子縁組のウェブサイト「&family..」を立ち上げる。
―ご結婚は2012年とのことですが、当時お子さんについてどのようにお考えでしたか。
瀬奈:私たち夫婦はふたりとも子どもが大好きで、すぐにでも欲しいと思っていました。夫は「チャイルドマインダー」という保育の資格を持っているくらい子ども好きなんです。
―なぜその資格をとられたのですか?
千田:僕は自分のスタジオで子どもにダンスを教えていて、今後も子どもと関わる仕事をしていこうと思っているので。子どものケアや発達について学んでおきたいと思い、半年間学校に通って取得しました。
―ではお子さんを迎える準備も万端だったのですね。不妊治療はいつどのように始められたのですか。
瀬奈:舞台の仕事は大体2年先まで決まっているので、結婚したときに決まっていた仕事を全部終えた後、お休みをとって、41歳のときに本格的な不妊治療をスタートしました。調べてみると、私の卵管の通りが悪く、年齢的にも急いだほうがよいということで、最初から体外受精でした。
きっとすぐに授かるだろうと、希望に満ちあふれて始めたのですが、2回目の移植で着床したものの、そこで成長がストップしてしまい、気分はどん底。でもそれは長い不妊治療のほんの始まりでした。
―不妊治療で一番大変だったのはどんなことですか。
瀬奈:多量のホルモン剤を飲み続けなければならないことです。私は普段から風邪薬や痛み止めなども飲まないので、卵子を育てる薬や排卵誘発剤など、様々な薬を飲み続けて、体がどんどんむくんでいきました。また、ホルモンバランスが乱れて、精神的にも不安定になり、急に涙が出てしまうこともありました。
―結局、体外受精は何回されたのですか。
瀬奈:2年半の治療中に7回行いました。そのうち5回は着床しましたが、子宮内膜の厚みが足りず、卵が育ち続けることはありませんでした。
―当時はどういうお気持ちでしたか。
瀬奈:人生初の挫折でしたね。それまでは努力すればなりたい自分になれると信じて生きてきました。宝塚歌劇団時代にも辛いことはあったけど、努力を重ねてトップスターになるという夢を叶えることができた。でも人生には、がんばってもどうにもならないことがあるのだと初めて知りました。
―千田さんはそんな瀬奈さんをどのようにご覧になっていましたか。
千田:僕たち夫婦はどちらにも特別な問題はなく、原因不明の不妊でしたが、やはり妻の方が負担が重く、心身ともに追い詰められていきました。僕なりに「どちらが悪いわけでもないんだよ」と気持ちを伝えても、妻は自分を責めてしまって。男性側は何もしてやれないんだなと、もどかしかったです。
瀬奈:今思えば、夫も辛かったでしょうね。夫がいなければ、あそこまでがんばれなかったし、すごく支えてもらいました。
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