体外受精6回目で妊娠!【不妊治療を経験した専門医が教える妊活の心得】|妊活webマガジン 赤ちゃんが欲しい(あかほし)
体験談
長い道のりをへてママ&パパになった妊活卒業生たちの、治療や通院のリアルストーリーをご紹介。今回はご自身も不妊治療専門医の田口先生の治療歴などを伺いました。
出産35才で結婚し、すぐに妊活スタート。はじめは、「避妊しなければ妊娠するだろう」と、あかほし読者のみなさんと同じような感覚でした。でも半年くらいたって「あれ?妊娠しないな」って。そこで検査を受けると、夫の精子の数が極端に少ないことがわかったんです。
「精子が少ない」と告げられても、夫はあまりショックを受けている様子はなし。体も細くて、いわゆるマッチョ系ではない夫。「やっぱりそういうことか」と受け止めたようですが、知り合いの泌尿器科医などにいろいろ相談。
そして夫本人の希望で、泌尿器科ですすめられた精索静脈瘤(せいさくじょうみゃくりゅう)の手術を受けました。
検査と並行して行なった人工授精では結果が出ず、「残された方法は体外受精だけ」と治療を開始。そこで、とれる卵の数が少なくてびっくり!
自分ではまだ若いつもりでいたけれど、体は確実に老化が進んでいることを痛感しました。幸い受精率は悪くなかったのですが妊娠には至らず。「卵子の状態も悪くないし精子も問題はない。体外受精をすれば授かるだろう」と考えていた私はかなりあせりました。
・精索静脈瘤
精巣からの静脈の血液が滞りコブのようにふくらむ精索静脈瘤。精子がつくられにくい原因のひとつ。
・卵子の老化
女性は年齢が高くなればなるほど卵子が老化して不妊の原因に。
結局、1年間で体外受精を5回、授かったのは6回目の体外受精です。
2人目も欲しかったので、生後1カ月で授乳をやめ、体外受精を再開。翌年第2子を授かり、その後また3人目をめざしてあれこれトライしましたがうまくいかなくて、私の妊活は終わりを迎えました。
体外受精で陰性の結果が続くとやはり気持ちは落ち込みます。私の場合、つらい、悲しいというより、「次の世代を残す力がないのか」と生物としての本能的な危機感が強くて。だから治療をすればするほど「どんなことをしてでも欲しい」と、頭の中は妊
活でいっぱいに。でも、それでいいと思うんです。夫や周りに何を言われても、自分が赤ちゃんが欲しい気持ちを貫けばいいんです。
それに、妊活もつらいことばかりではありません。卵巣刺激をして卵胞が育っていくのを見ると生のエネルギーを感じるし、受精卵が分割する様子を自分の目で見られるのも、治療をしているからこそ。
周囲には不妊治療をしていることについて、いろいろなことを言う人もいるでしょう。でも妊活は自分ファーストでとり組んでいいこと。「欲しいものは欲しい」と、前向きにとり組めばいいと私は思います。
2001年2月 入籍
8月 夫婦で検査を受けたところ、夫の精子が少ないことが判明。人工授精にトライ。その後、精索静脈瘤の手術をへて、体外受精を開始。1年間で体外受精に5回トライ
2002年5月 採卵をし、そのときの新鮮胚移植で妊娠
2003年2月 第1子出産
2004年6月 体外受精で第2子出産
心得1 体外受精でも妊娠率は年齢とともに低下するので、治療はスピーディに
私は一刻も早く赤ちゃんが欲しかったので、とにかく早く治療を進めなければと思っていました。もし当時「卵子凍結」の技術があれば、絶対にやっていたと思います。
心得2 「どんなことをしても授かりたい」という強い気持ちを持つ
治療中、あきらめたくなる瞬間もあると思います。でも最終的には「なんでもやる!」くらいの強い気持ちが結果につながるのかも。神頼みをすることも悪くないと思います。
心得3 治療に関して夫や周囲と意見がくい違うのはあたりまえ。自分の気持ち優先で
夫婦なんて常に相手に不満をかかえているもの。不妊治療をしてもしなくても夫婦ゲンカはするワケですから、何もかもを治療と結びつけて考えなくてもいいんです。
産婦人科医、生殖医療専門医。1965 年大阪市生まれ。90 年川崎医科大学卒業後、兵庫医科大学大学院にて、抗精子抗体による不妊症について研究。
現在は大阪・東京で展開する医療法人オーク会にて不妊治療の診察を行なっている。
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