不妊治療

    【武内由紀子さん特別養子縁組でママに】不妊治療7年を経て「血のつながりなんて関係なかった!」

    公開日:2020.01.07 / 最終更新日:2020.01.16

    【武内由紀子さん特別養子縁組でママに】不妊治療7年を経て「血のつながりなんて関係なかった!」

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    大阪パフォーマンスドールのリーダーとして活躍し、現在1児の母であるタレント・武内由紀子さん。長男の一徹くんは特別養子縁組で生後4日目に迎えたお子さんです。「血のつながらない子をもらってまで…」と思っていたけど、実際に育ててみたら血のつながりなんて関係なかった!と、笑顔で語る武内さん。長い長い不妊治療のトンネルを抜けて、養子を迎えるまでのストーリー、長男・一徹くんへの思いについて伺いました。

    妊活7年、顕微授精8回(採卵20回)、そして養子を迎えるまで6ヶ月

     37歳:プロポーズされ、タイミング法で妊活を始める
    40歳:結婚。卵巣嚢腫の手術後、顕微授精をスタート     
    44歳:8度目の顕微授精で不妊治療の終了を決意。民間の養子あっせん団体に登録 
    45歳:半年間の待期期間後、生後4日目の長男・一徹くんを迎える

    父子の寝姿が同じ。血がつながっていてもいなくても、幸せな時間です

    2度目の顕微授精は6週間で稽留流産

    武内さん親子のインタビューはご自宅で行いました。玄関のドアを開けると、武内さんと長男の一徹くんがお出迎え。

    一徹くんの第一印象は、武内さんに似てる! ご本人もよく言われるそうで、血がつながっていなくても、一緒に暮らしていると似てくるって本当なんだな~と改めて感じました。人見知りもなく、初対面からフレンドリーな一徹くん。お気に入りのおもちゃを貸してくれたり、すんなり抱っこもさせてくれて、一徹くんの笑顔にスタッフ一同、ハートをわしづかみにされたところでインタビュー開始!

    ―妊活・不妊治療を始めたのはいつからですか。

    私はバツイチなんですが、37歳のときに旦那さんとつきあい始めて、8ヶ月後にプロポーズされました。年齢的にも出産のリミットが迫っていたので、なるべく早く子供が欲しいことを伝えると、彼も賛成してくれて、まもなく妊活を始めました。

    ―結婚前に妊活をスタートされたんですね。

    「妊娠したら入籍すればいいか」という感じで。まずはタイミング法から始めようと、私が毎月婦人科で排卵日をみてもらっていました。生理が来るたびに落ち込んで、また仕切り直し、という生活を3年続けました。

    ―ご結婚されたきっかけは?

    私が40歳になったとき、籍を入れました。結婚するまでは高度不妊治療を受けられなかったので、すぐに不妊治療専門のクリニックに行きました。すると卵巣嚢腫が見つかって、まずはその手術。妊娠の準備が整ったところで、本格的な不妊治療がスタートしました。当時は私もこれでようやく妊娠できる!とウキウキしていましたね。

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    ―具体的にはどんな治療をされたのですか。

    40代ということもあり、最初から顕微授精にトライしました。2度目の移植で着床し、喜んだのもつかの間、6週間で稽留流産してしまいました。ショックでしたが、一度は着床したのだから、次はすぐに妊娠するだろうと思ったら、甘かった!

    結局、4年間で20回の採卵、8回の移植を行い、4回着床しましたが、2回目以降は全て化学流産でした。

    決断が難しい不妊治療のやめどき

    ―治療でいちばん大変だったことはなんですか。

    いちばんつらかったのは治療そのものより、精神的な部分ですね。何度も落胆するのに疲れ果てて、「どうせ今回もダメだろう」と期待しなくなりました。検査でちょっといい結果が出ても喜ばず、悪くても悲しまず、気持ちを上下させないように心がけました。

    子供のいる友達とも距離を置きがちになり、そんな自分にもイライラ。みんな心配して、「仕事のしすぎじゃない?」「コレをやったら妊娠力が上がるよ」などとアドバイスしてくれるのですが、「いや、もうこっちは妊娠するために鍼治療から神頼みまで、散々いろいろやってますから!」と、当時は素直に受け入れることができませんでした。

    ―不妊治療をやめるきっかけは?
    うちの場合は夫婦とも特に不妊の原因がなかったので、特別な治療法があるわけでもなく、やめるタイミングも正直、見つけにくかった。誰も「もうやめたら?」とは言ってくれませんでしたし。

    そんなある日、ずっと憧れていた演出家の舞台のオファーが来たんです。それまではいつ妊娠してもいいように、3年間舞台の仕事を断り続けてきましたが、『結局妊娠しないなら、あの時出られたのに……』と思うこともあり、今回はお受けすることにしました。
    舞台の本番までに1年あったので、その間に採卵して2個の卵子が胚盤胞まで育ちました。舞台が終わったらこれをおなかに戻そう、これで妊娠しなければもう子供はあきらめようと決めました。

    それまでの7年間、妊活中心の人生を送ってきました。お金もすべてそれに使い、妊娠することしか考えていませんでした。45歳になるまでは治療を続けようと思っていましたが、もうできることは全てやったし、あと1年続けても結果は同じだと思ったんです。結局8回目の顕微授精もうまくいかず、きっぱりあきらめました。

    不妊治療だけでなく、養子縁組にもある45歳の壁

    ―特別養子縁組を考え始めたのはいつ頃ですか。

    最後の治療を終えて、クリニックでお会計を待つ間、無意識のうちに携帯電話で養子縁組について調べ始めていたんです。自分でも予想外の行動でした。

    それまでも養子縁組という制度があることは知っていましたが、正直『そこまでして…』という思いもあり、今回ダメなら、今まで断り続けていた舞台にどんどん出ようと思っていました。ちょうど旦那さんがベーカリーをオープンしたばかりだったので、その仕事も手伝いながら、今まで行けなかった旅にも出かけ、夫婦2人の人生を楽しもうと話していました。

    でも、あの待合室でなぜか突然スイッチがパーンと切り替わったんです。あぁ、私は子供を産むことはあきらめたけど、子供を育てることにあきらめはついていないんだなと気づきました。

    ―そこから具体的にどんな行動を起こされたのですか。

    まず養子縁組の制度について調べて、戸籍上も親子になれる特別養子縁組には、養親の年齢制限があることを知りました。養子が成人したときに養親が65歳以下であることが望ましく、民間団体によっては妻の年齢を43歳までと定めているところもありました。

    リビングの壁には一徹くんの成長の折々の写真がズラリ。かけがえのない家族の時間が。

    私は当時44歳だったので、既に年齢オーバー! あわてて今からでも登録可能な団体を探して、数週間後には説明会に参加し、納得のいく団体を見つけました。「いろんな団体や児童相談所にも問い合わせて、自分に合うところを見つけてください」と言われましたが、お話を聞いたときにスーッと心に入ってきて、ここにお願いしようと思えたんです。調べ始めてから申し込みまで、1ヶ月もかからなかった。

    私のように不妊治療は45歳までと考えている方もいらっしゃると思いますが、もし少しでも養子を迎える可能性があれば、とりあえず調べるだけでも早めにすることをおすすめします。

    ―パートナーは養子について、どんなご意見でしたか。

    旦那さんは7歳下なので、そこまで焦ってなくて、最初は『不妊治療をやめたら自然に授かることもあるから、あと1年ぐらい待ってみたら?』という意見でした。でも私はもう、生理が来て、落ち込んでという苦しい日々をあと1年も続けながら、そんな奇跡を信じることはできませんでした。養親にも年齢制限があることを伝え、話し合いを重ねた末、彼も賛成してくれました。

    団体に申し込んだ後は、夫婦個別に電話面談がありました。なぜ子供が欲しいのか、不妊治療や特別養子縁組を選んだ理由など、いろんなことを聞かれ、本音をさらけ出しました。それぞれの面談の後には、夫婦で話し合ってくださいと。2人でとことん特別養子縁組について向き合いました。この時間は私たちにとってすごく大切だったと思います。

    ―血のつながらない子供を我が子として育てていくことに不安はありませんでしたか。

    養子の性別は選べないし、病気の子が来る可能性もあります。でもそれって自分が出産するときも同じことですよね。特に私は高齢だったので、ダウン症などのリスクもあったし、どんな子が来ても受け入れようと、覚悟はできていました。

    それより、本当にうちにも赤ちゃんがくるのかな?という不安の方が大きかったです。
    全ての研修を終えて、待機期間に入ってから、実際に赤ちゃんに会うまで、半年待つ人もいれば、1年以上の人もいる。いつ団体から電話がかかってくるかわからないので、毎日ドキドキしていました。民間団体では新生児の委託がほとんどですが、出産後に実母の意向を最終確認してから、養子に出すことが決まるので、連絡は突然来るんです。

    待機期間中にはべビー用品も揃えておかなければなりません。でも、本当に来るかどうかわからない子のためにいろいろ準備して、もし来なかったらショックなので、どうしても買いにいけませんでした。

     
    生後4日の初対面。この子は返さなくていいんだ

    ―我が子と初めて対面されたときのことを教えてください。

    待期期間が半年になる頃、団体主催のパーティーに参加しました。一緒に研修を受けた3~4組の夫婦はみんな赤ちゃんを抱っこしていて、うちにはいつ来るんだろうと、ちょっと落ち込んでいました。

    その一週間後、アクロスジャパンという団体の方から、突然電話がありました。「一徹が生まれたよー!」と。名前は事前に私たちが男女それぞれの候補を決めて提出していました。

    「一徹ってことは男の子! 3日後にはお迎え?!」
    なんとか気持ちを落ち着けて、2日でベビー用品を揃えました。お迎えに行ったのは生後4日目のことです。初めて抱っこしたら、ちっちゃくて、かわいくて、もう何ともいえない感情でした。本当に長い間、待ち望んでいた我が子にようやく会えました。      

    今まで友達の子供と1日遊んで仲良くなっても、当たり前だけどその子はお母さんの元に帰りますよね。でもこの子は返さなくていい、うちにずっといてくれるんだなぁって思いました。私たちがずっと抱っこして育てていくんだと。

    ―生みのお母さんにも会われたそうですね。

    はい。珍しいケースですが、ちゃんと会って預けたいという先方の希望でした。実母さんはすごく明るくて強い方でした。手放したくなくなるから、産んだら赤ちゃんは見ないでおこうと思っていたけど、結局は離れる直前までずっと抱っこしてミルクを飲ませてくださったそうです。生活状況が許さず、一緒には暮らせなかったけど、この子は本当に愛されて生まれてきたんだとわかりました。

    特別養子縁組では、出自の真実を本人に伝える「真実告知」をする必要があります。一徹が理解できるようになったら、実母さんの思いを話そうと思います。私たちはお会いして本当によかったと思っています
     
    ―一徹くんとの生活はどうですか。

    もうすぐ2歳になりますが、とても育てやすい子で、本当に毎日が幸せです。この先、思春期になれば大変なこともあるかもしれませんが、実の子だってグレるかもしれない。多少やんちゃでも、とにかく健康で優しい子に育ってくれたら十分です。

    ―自分が産んで育てるのと、養子とで、何か違いを感じることはありますか。

    実際に産んでないのでよくわかりませんが、いざ育てはじめたら、実子も養子も変わらないと思います。本当に普通の子育てです。最初はこの子、私のことどう思っているのかなぁと考えたこともありましたけど。あまりぐずったりしないけど、まさか私に気をつかってないよね?とか。

    生後10ヶ月を迎えた時は『あぁ、ようやく実母さんのおなかにいた時間と一緒になったな』という感慨がありました。やっと同じスタートラインに並べたと。

    妊娠するかどうかは「運」! 努力不足のせいじゃない

    ―武内さんは7年の妊活を終えてから特別養子縁組という制度を知ったわけですが、もう少し早く知っていれば、何か違ったと思いますか。

    不妊治療中は妊娠するか、夫と2人の生活かの二択しか考えていませんでした。最初から特別養子縁組制度について知っていれば、44歳までがむしゃらに治療せず、もっと早く養子を迎えたかもしれません。インスタグラムでつながった特別養子縁組仲間には20代~30代前半のママもいます。早く決断して、若いお母さんになれて、ちょっぴりうらやましく思います。

    特別養子縁組を選ぶかどうかは別として、知識としてこの制度を知っておくことは大切だと思います。不妊治療をする前に知っていれば、将来こういう選択もあると、少しは気持ちが軽くなるかもしれません。

    ―最後に妊活中の方に応援メッセージを。

    不妊治療は本当につらいと思います。私が暗いトンネルの中にいたとき、長い妊活の末に子供を授かった親友に言われて、とても救われた言葉があります。

    『ゆっこちゃん、妊娠するかどうかは運やから! 努力ちゃうから!』。

    どんなに体によくない生活をしていても、妊娠するときはするし、どんなに健康的な生活をして治療に励んでいても、授からないこともある。でも、それは自分が悪いからでも、努力が足りなかったわけでもなく、たまたま運がよくなかっただけだと。

    赤ちゃんが欲しい!と強く願っていれば、いつかきっと来ます。うちの場合は血がつながっていませんでしたけど。

    育ててみたら、血のつながりは関係なかった!

    ―特別養子縁組を考えている方にもひとことお願いします。

    私も以前は正直、『血のつながらない子をもらってまで、子供が欲しいのか』と自分に問いかけていました。でも今、この子を育ててみて、血のつながりなんて、これっぽっちも関係ないと、心から思います。今は養子であることを忘れてしまうほど! 養子縁組仲間のママたちもみんなそう言っています。だからもしそこを心配されている方がいたら、心配しなくても大丈夫だよとお伝えしたいです。

    一徹くんが来て、おじいちゃん、おばあちゃんもみんなハッピー

    もちろん妊娠するのは好ましいですが、そうでなければ夫婦2人で人生を楽しむのもよし。いろんな選択肢がある中で、自分が本当に子育てしたいのかどうかを考えて決めればいいと思います。

    昔は不妊治療をしていることさえ、隠さなければいけない雰囲気でしたが、今は違いますよね。養子縁組も特別なことではなく、当たり前に受け入れられるような世の中になればいいなぁと、心から願っています。

    インタビューが終わった後は、親子3ショットを撮影するために、ご主人の経営する大森ジャーマン通りのベーカリー「BAKEMAN」を訪れました。仕事中にも関わらず、パンを焼く手を止めて、気さくに撮影に応じてくださった優しいパパ。

    「BAKEMAN」のパンは北海道産小麦、オーガニック、添加物不使用のヘルシーな食材をメインに使っているそう。一徹くんもパパの作るパンが大好物で、毎日食べています。筆者も松の実入りのパンをいただきましたが、ふんわり蜂蜜の香りが広がって、とてもおいしかったです。

    BAKEMAN 
    東京都大田区山王2-18-1 #102 
    営業時間:10:00-19:00(売り切れ次第終了)不定休

     


    Yukiko Takeuchi
    1973年、大阪府出身。1993年より大阪パフォーマンスドール(OPD)のリーダーとして活躍。今田耕司、東野幸治と結成した「WEST END×YUKI」のヒット曲『SO.YA.NA』でブレイク。OPD解散後は女優として舞台や映画、ルミネtheよしもと新喜劇のメンバーとしても活動。2018年に特別養子縁組で長男の一徹くんを授かる。現在は育児のかたわら、YTV「大阪ほんわかテレビ」にレギュラー出演中。

    撮影/土屋哲朗(主婦の友社) 構成・文/岩村優子 協力/アクロスジャパン

     

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