北口本宮冨士浅間神社

山梨県富士吉田市上吉田5558
0555-22-0221

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ムスヒの御力が通ずる御祭神 木花開耶姫命  

ムスヒとはあらゆるものを生み出す神霊をいい、「産霊、産巣日、産日、産魂」とも表記されます。ムスは生成発展する意、ヒは霊または神秘的なはたらきを意味し、ムスヒとは「天地・万物を生成発展させる霊的なはたらき」を意味します。ムスヒの観念は幅広く、神道においては「神々の生成をはじめ万物の生成発展にかかわる重要な概念」とされており、御祭神の木花開耶姫は、子授けや安産、夫婦円満の神様ともいわれています。


  • 子宝(子授け)を願う
  • 安産を願う

由緒

景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で当地「大塚丘」にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになりました。よって大鳥居が建てられ、大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となりました。
天応元年(781)、富士山の噴火があり、甲斐国主の紀豊庭朝臣が卜占し、延暦7年(788)、大塚丘の北方に社殿を建立しました。これが現在社殿のある地で、ここに浅間大神をおうつしし、大塚丘には日本武尊をお祀りしました。
古代、富士のような高い山、美しい山は神のおわす山として人が入ることは禁忌でした。よって当地は、ご神体の富士山を遥かに拝み祭祀を行う場でありました。現在拝殿を囲んでいる巨木はその神域を物語っています。
時代は下って、平安時代の頃に山岳信仰が普及し、登山を実践して修行する修験道が各地で広まるとともに富士講が出現し、発展するにつれ、御山に登ること即ち祈り、とする「登拝」によって、人々は山頂を目指すようになりました。
初めて富士登山を行ったのは、大宝元年(701)の役小角という行者であるとされ、のちに富士講の開祖と仰がれる藤原角行師は、天正5年(1533)に登山しています。
富士講は「江戸の八百八町に八百八講あり」といわれるほどに繁栄し強大になり、甲州街道と富士みち(現国道137号線)を通って吉田口(北口)登山道から入山する関東一円、更に北陸や東北、関西にまでも拡大しました。
中でも大きな団体であった村上講の村上光清師は、藤原角行師の6世の弟子にあたり、享保18年から元文3年までの6年間(1733~1738)で、境内社殿の大造営を行いました。現存する社殿と境内構成のほとんどはこの時に定まり、廃仏毀釈により損失しつつも噴火の被害は受けずに、現在もなお当時のままの荘厳な趣を伝えています。
主な社殿は、仁和3年(887)より、藤原当興、北条(左京太夫)義時、武田信玄、浅野(左衛門佐)氏重、鳥居(土佐守)成次、秋元(越中守)富朝、秋元(摂津守・但馬守)喬朝、らによって造営が重ねられました。
貞応2年(1233)北条義時造営ののち、永禄4年(1561)に武田信玄が再建した社殿が現存する中では最も古く、「東宮本殿」として現本殿の東側に、また、文禄3年(1594)浅野氏重殿造営の社殿は「西宮本殿」として現本殿の西側におうつしされています。現在の本殿は、元和元年(1615)鳥居土佐守成次殿の創建で、いずれも国指定重要文化財です。

おすすめポイント

木花開耶姫命

主な御神徳は安産・火防、富士山の女神。
大変美しい女神であったため、天孫・瓊瓊杵尊の妻となり、猛火の中で3柱の皇子をご安産なされた故事があります。
芸能の神、酒造の神、養蚕の神としても信仰を集めてきました。
その全てにはムスヒ(産霊)の御力が通じており、モノを生み出す神であるといえます。
また、水を司る神であり、延いて交通や流通の神でもあります。



インフォメーション

お知らせはありません。

費用

子授け祈願の他、心願成就・身体健全・安産祈願等。
5,000円より

※料金は標準的な金額を掲載しております。詳細につきましては、各施設のHPまたは直接お問合せください。

基本情報

北口本宮冨士浅間神社

住所 山梨県富士吉田市上吉田5558
電話番号 0555-22-0221
時間 祈祷受付/9:00~16:00
アクセス 中央自動車道「河口湖I.C.」より約3km
HP http://sengenjinja.jp/

その他周辺情報