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不妊治療・妊活のクリニック探し・情報収集ならあかほし 体験談 〈滝沢友紀さん〉42歳・45歳で出産。夫マシンガンズ滝沢さんとの幸せの裏で感じた、ある変化【インタビュー中編】 2ページ目(3ページ中)

2ページ目(3ページ中) | 〈滝沢友紀さん〉42歳・45歳で出産。夫マシンガンズ滝沢さんとの幸せの裏で感じた、ある変化【インタビュー中編】

2025/10/30 公開
2025/11/01 更新
滝沢友紀さん

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42歳での出産、体へのダメージは想像以上!

――産後はどのように過ごされましたか?

息子はしばらくNICUに入院していたので、先に退院した私にできることといえば、搾乳した母乳を届けることくらいでした。

滝沢友紀さん
GCU(新生児回復室)の沐浴スペースで沐浴指導を受けている夫です。

でも、42歳での高齢出産、しかも60時間を超えるお産のダメージは想像以上。産後の体は本当にボロボロでした。骨盤底筋がゆるみまくっていて、入院中はおねしょをしてしまったほど。悪露用の大きなナプキンをしていたのでことなきを得ましたが、衝撃ですよね(笑)。体を元に戻すのには、かなり時間がかかりました。

そして、息子が無事に退院してからは、いきなり新生児のお世話がスタート。私も夫も、もうとにかくオロオロでした。3週間のNICU生活で息子にはそれなりにリズムができつつあるのに、親の私たちがそのリズムをつかめていない。授乳もおむつ替えもねんねのタイミングも手探りです。寝ていると、「息してる?」と心配になるしで、相当神経質になっていたなと思います。

滝沢友紀さん
家族3人、退院日に撮影した1枚。

――体も心もギリギリのなかでの初めての育児、どのように乗り越えられてきたのでしょうか?

ただただ必死でした(笑)。今振り返ると、高齢出産とはいえ、まだ体力もあったのかな。それは、45歳で2人目を出産して実感することになりました。

44歳、まさかの自然妊娠と幸せな出産

――第2子の妊娠は、どんなきっかけでわかったのですか?

私たち夫婦の間では、2人目の話はまったく出ていなかったんです。長男を不妊治療で授かっていますし、年齢的にももう妊娠は難しいと思っていましたから。私自身は、「もうひとり授かれたら」という気持ちはどこかにありましたが、可能性は限りなく低いと思っていたので、夫にも特に話していませんでした。

だから、妊娠がわかったときには本当にびっくりしましたね。

――妊娠を報告したときの滝沢さんの反応は?

第一声は「でかしたぞ!」でした(笑)。でもすぐにサーッと現実に戻って、「ひとりでも大変なのに大丈夫なのか…」って青くなっていましたけれど。

――ご長男のときは難産で、産後も心配がつきなかったと思います。2人目のときは出産への不安はありませんでしたか?

後悔のないお産にしたくて、「絶対に前向きに臨んでやる!」と心に決めていました。

滝沢友紀さん
2人目妊娠中。お産にも前向きでした。

いざ出産になると、陣痛の波がくるたびに「いいよ、上手だよ」「そのまま行っちゃおう!」と赤ちゃんに声をかけたりして。二度目の出産ということもあってか子宮口の開きもスムーズで、なんと5時間の安産!会陰切開もせずに、するんっと生まれてきてくれたんです。

赤ちゃんの顔を見た瞬間、「一緒に頑張ったね、ありがとう!」って気持ちが溢れてきて、お産ってこんなに満たされるものなんだと思いました。

――すてき!幸せいっぱいに赤ちゃんを迎えられたんですね。

息子のときには味わえなかった新生児期の穏やかさや、娘のひとつひとつの成長が本当に愛しくて。娘は器用なタイプで、母乳やミルクを飲むのも上手だったし、抱き起こすとすぐにゲップもしてくれる。赤ちゃんとの生活を存分に味わって、気持ちはすごく満たされていました。

滝沢友紀さん
長女を出産してすぐ。満足いくお産ができて幸せを感じていました。

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