〈芸人・本日は晴天なりさん〉不育症、不妊治療を経て41歳で出産。つらいとき自分の心を守ったのは【後編】 | 不妊治療・妊活のクリニック探し・情報収集ならあかほし(赤ちゃんが欲しい)
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不妊治療・妊活のクリニック探し・情報収集ならあかほし 体験談 〈芸人・本日は晴天なりさん〉不育症、不妊治療を経て41歳で出産。つらいとき自分の心を守ったのは【後編】

〈芸人・本日は晴天なりさん〉不育症、不妊治療を経て41歳で出産。つらいとき自分の心を守ったのは【後編】

本日は晴天なりさん

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子宮外妊娠、二度の流産、不育症を乗り越えて、41歳で出産したお笑い芸人の本日は晴天なりさん(以下、晴天さん)。

妊活・不妊治療を振り返る全3回のインタビュー後編では、晴天さんが意識していた治療中の心の持ちよう、お笑いの仕事との両立、夫との関係、治療のやめどきについて伺いました。最後に心強いエールもいただきました!

前編インタビューを読む>>子宮外妊娠で破裂寸前、緊急手術!卵管をひとつ失って始まった私の不妊治療〈芸人・本日は晴天なりさん〉

おなかの中の子は赤ちゃんと呼ばず“細胞扱い”

不妊治療で一番つらかったのは、やっぱり流産ですね。私は出産にいたるまでに4回妊娠しましたが、初期のころから胎児を赤ちゃん扱いしてしまうと心が持たないので、「赤ちゃん」と呼ばずに「胚盤胞」と呼んだり、「おなかにきてくれた」と言わずに「着床」と呼んだりしていました。

夫の母国の韓国では胎児ネームをつける風習があるそうで、義理の妹にも胎児ネームをつけようと言われたのですが、私は頑なにそれを拒んで、妊娠がかなり進むまでわが子を細胞扱いしていました。そうすることで自分の心を守っていたんです。

また、流産したときも「赤ちゃんがお空に帰った」みたいな表現に心を慰められる人はいるかもしれませんが、私はまだ生まれてないのに死んでしまったような表現が苦手で、「染色体に問題があったから流れちゃっただけなんだ」と、医学的にとらえようとしていました。

第1子が生まれてからのほうが、あの細胞だと思っていた子たちも実はわが子だったんだなとか、最初から不育症専門クリニックを受診していれば産んであげることができたかもしれないなと思ったりして、未だに泣いてしまうことがあります。これからもこのことを泣かずに思い出せる日はこないんじゃないかと思うくらい、流産は本当につらい経験でした。

次のページ>> 不妊治療中のお笑いプロレス、OK?NG?

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