そう言われてから次の診察までの数日は、1分1秒がとんでもなく長く感じられました。
体をあたため、なるべく安静にして、祈るような気持ちで迎えたその日。やはりおなかの赤ちゃんの心臓は動いていなくて、稽留流産と診断されたのです。
「こういうことってあるんだ…」と呆然としましたが、とにもかくにも流産の手術の日にちを決めて。でも、夫の顔を見た瞬間に、抑えていた感情が溢れ出しました。
「やっぱりもう無理かもしれない。ごめんなさい、ごめんなさい…」
努力ではどうにもならない、年齢の壁
稽留流産と診断された日、「もし次に妊娠できたら、何に気をつければいいですか? どうしたら流産を防げますか?」と聞いた私に、お医者さんはひとこと、「年齢だからね」と答えました。
この言葉は、そのときの私にはとても残酷なものに聞こえました。
年齢が上がるほど流産の確率も上がるといいます。ただ、過ぎてしまった時間を巻き戻すことはできません。自分の努力ではどうにもできないことがあると突きつけられたようで、ショックだったんです。
でも、この言葉があったからこそ、「もう一度妊活に向き合うときには、自分にできることは精一杯取り組む」という気持ちにもなれたのかな、とも思っています。
流産手術の日、オペ室に入ってきた先生が「頑張ろうね、お母さん」と声をかけてくれたことは忘れられません。
「私は確かにおなかの赤ちゃんのお母さんなんだ」
グッと込み上げるものがありました。
家に戻れば、ふだん通りの日常生活が進んでいきます。娘に不安を感じさせるような姿を見せてはいけない。「どんな気持ちでも生活は続いていくんだな」と、どこか冷静に思ったり、でもやっぱりふとした瞬間に気持ちが溢れそうになったり…。
いつもの日常があったから、悲しみに沈み込まずに踏ん張れた、という面もあったかもしれません。
「この1枚は、流産の手術日に撮影しました」
ゴール設定で、前向きになれた!
流産後は、子宮を休め、ホルモン値が正常に戻るまでに2カ月ほど妊活をお休みする必要があります。この2カ月は、妊活に向けて心と体を立て直す期間になりました。
「冷え性改善のために、よもぎ蒸しに通っていました」
そして、通院と仕事や家庭の両立、年齢のこと、流産の可能性のこと、いろいろなことを整理して考えたとき、私のなかに浮かび上がってきたのが、「もう一度妊活を頑張るならば、ゴール設定が必要だ」という結論です。
妊活の最終目標はもちろん妊娠・出産することですが、それがかなうかは神のみぞ知ることです。そこで私が考えたのが、「あと1年」と期限を区切ることでした。
「1年」という期限を決めたことで、自分でもびっくりするくらい気持ちが切り替わりました。1年間、後悔しないように頑張りきれば、例えどんな結果になっても悔いは残らないと思えたんです。
夫ともたくさん話し合いました。2人目への強い思いがあった彼ですが、私が決めた期限に反対することはなく、「いちばん大事なのは君の体だから」と理解してくれたことは、本当にありがたかったですね。
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PROFILE●大堀恵さん
1983年8月25日生まれ、千葉県出身。2006年4月に「AKB48」の第二期追加メンバーオーディションに22歳で合格し、09年には派生ユニット「SDN48」のメンバーとしても活躍。10年2月にグループを卒業してからは、タレントとして活動の場を広げる。プライベートでは2012年に結婚し、14年6月17日に女の子を出産、24年12月25日に第二子となる次女を出産した。公式ブログ▶ https://ameblo.jp/ohorimegumi/
取材・文/浦上藍子
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