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不妊治療・妊活のクリニック探し・情報収集ならあかほし 体験談 【武内由紀子さん特別養子縁組でママに】不妊治療7年を経て「血のつながりなんて関係なかった!」 2ページ目(4ページ中)

2ページ目(4ページ中) | 【武内由紀子さん特別養子縁組でママに】不妊治療7年を経て「血のつながりなんて関係なかった!」

2020/01/07 公開
2023/06/17 更新

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―治療でいちばん大変だったことはなんですか。

いちばんつらかったのは治療そのものより、精神的な部分ですね。

何度も落胆するのに疲れ果てて、「どうせ今回もダメだろう」と期待しなくなりました。検査でちょっといい結果が出ても喜ばず、悪くても悲しまず、気持ちを上下させないように心がけました。

子どものいる友達とも距離を置きがちになり、そんな自分にもイライラ。

みんな心配して、「仕事のしすぎじゃない?」「コレをやったら妊娠力が上がるよ」などとアドバイスしてくれるのですが、「いや、もうこっちは妊娠するために鍼治療から神頼みまで、散々いろいろやってますから!」と、当時は素直に受け入れることができませんでした。

―不妊治療をやめるきっかけは?

うちの場合は夫婦とも特に不妊の原因がなかったので、特別な治療法があるわけでもなく、やめるタイミングも正直、見つけにくかった。誰も「もうやめたら?」とは言ってくれませんでしたし。

そんなある日、ずっと憧れていた演出家の舞台のオファーが来たんです。それまではいつ妊娠してもいいように、3年間舞台の仕事を断り続けてきましたが、『結局妊娠しないなら、あの時出られたのに…』と思うこともあり、今回はお受けすることにしました。

舞台の本番までに1年あったので、その間に採卵して2個の卵子が胚盤胞まで育ちました。舞台が終わったらこれをおなかに戻そう、これで妊娠しなければもう子どもはあきらめようと決めました。

それまでの7年間、妊活中心の人生を送ってきました。お金もすべてそれに使い、妊娠することしか考えていませんでした。45歳になるまでは治療を続けようと思っていましたが、もうできることは全てやったし、あと1年続けても結果は同じだと思ったんです。結局8回目の顕微授精もうまくいかず、きっぱりあきらめました。

不妊治療だけでなく、養子縁組にもある45歳の壁

―特別養子縁組を考え始めたのはいつ頃ですか。

最後の治療を終えて、クリニックでお会計を待つ間、無意識のうちに携帯電話で養子縁組について調べ始めていたんです。自分でも予想外の行動でした。

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