2ページ目(3ページ中) | 不妊治療を終え、特別養子縁組でママ&パパに。瀬奈じゅん&千田真司さん夫婦インタビュー
―最初に特別養子縁組の提案をされたのはどちらだったのですか。
千田:僕の方です。
不妊治療で心身ともに疲弊していく妻をそばで見ていて、この状況をどうにかできないものかとずっと考えていました。治療を始めて半年たった頃にふと、今は血のつながった子を産むためにこんなに苦しい思いをしているけれど、そこにしばられなければ、無理に治療を続けなくてよくなるのかなと思ったんです。
―つまり養子を迎えるということ?
千田:僕はチャイルドマインダーでベビーシッターの経験もあるのですが、どの子どもを預かっても同じようにかわいい。仮に今、その子の両親に何かあって、路頭に迷うことになっても、きっと僕は愛情を持って育てられるだろうなと思いました。
血のつながらない子どもでもいいじゃないかと思ったんです。だからといってすぐに養子を迎えようと決めたわけではありませんが、僕がそう思っていることを妻に伝えることで、少しでも妻の気持ちが楽になればという思いはありました。
ただ、妻は当時、僕たちふたりの血のつながった子どもを産みたいと思って、辛い不妊治療をしていたわけです。それを否定するつもりは全くなかったし、頑張っている妻にいきなり養子の話は酷だろうと思い、言い出すタイミングを迷っていました。
―本当にお優しいですね。
千田:いえ、僕自身も日常生活がだんだん暗くなっていく状態に耐えられなくなっていたんです。この先、何年不妊治療を続けるかは分からないけれど、自分は血のつながらない子でも受け入れられるよという意思は伝えました。
―それを聞いたとき、瀬奈さんはどう思われましたか。
瀬奈:すぐに受け入れるのは難しかったですね。「私はあなたとの子どもがほしくて治療を頑張っているのに、今なんでそういうことを言うの?」というのが正直な気持ちでした。
でも、しばらくたって、信頼する彼がせっかく言ってくれたことだから、とりあえず調べてみようと思ったんです。
千田:妻の中で消化するのに半年くらいかかった・・・。けれど、じゃあ調べてみようと前向きになってくれたときはすごくうれしかったですね。そこからは行動が早かった。
ネットで特別養子縁組の制度を調べ、まずは一番近い日程で説明会をやっている民間の養子あっせん団体の説明会に2人で行ってみました。
―どうでしたか?
瀬奈:実際に特別養子縁組でお子さんを迎えたご夫婦にお話を伺ったのですが、血がつながっていないのに、親子の顔がそっくりなのに驚きました。一緒に暮らしていると、こんなにも似てくる、血のつながりなんて関係ないんだなと、一歩踏み出す勇気をいただきました。
本来、不妊治療の目的は子どもを産み育てて幸せになることだったのに、長く治療を続けるうちに、いつしか妊娠がゴールになっていました。でも、心身ともにすり減らした状態で子育てはできない。ボロボロになる前に治療をやめて、真剣に特別養子縁組を考えようと、心が切り替わっていきました。
不妊治療で燃え尽きる前に、養子を迎えることを決意
―不妊治療をやめる決心をするのは大変でしたか?
千田:最初の説明会に行ってからも、1年くらいは不妊治療を続けていました。その間、本当に責任を持って養子を育てていけるのか、夫婦で何度も話し合いました。
これで最後と決めた7回目の体外受精の結果が陰性とわかり、血のつながった子どもを持つことをあきらめた瞬間は、もう何ともいえない感情で、2人で大泣きしましたね。
不妊治療って一度足を踏み入れると、晴れて妊娠するか、きっぱり子どもをあきらめるまでは、例えばその間に1年ほど治療を休んだとしても、なかなか暗いトンネルから抜け出せない。いくら気分転換に旅行に出かけたりしても、特に女性はずっとそのことが頭から離れないと思います。
僕たちの場合は、養子という選択肢があったことで救われました。もしそれがなければ、不妊治療をやめた後もずっと頭の片隅でそのことを考えて続けていたと思います。
瀬奈:私も養子という選択肢があったから、最終的に治療をやめる決意ができたのだと思います。もうひとつのきっかけになったのは、私と同じように長く不妊治療をしてきた友人から懐妊の知らせを聞いたことです。
このときは心からおめでとうと言えたけど、これ以上治療を続けていたら、いつか大切な人の幸せを喜べなくなる日が来るのではないかと、こわくなりました。素直に祝福できるうちにやめるべきではないと。
―養子を迎える決意をするうえで、心配だったことはありますか。
瀬奈:特別養子縁組は子どもを救うための制度です。子どもができなかったから、養子を迎えてでも子どもがほしいというのは自分のエゴなんじゃないかと悩んだこともありました。
そんなとき、民間団体「ストークサポート」のかたが「不妊治療の末に特別養子縁組という選択をする。それでいいんじゃない?」と言ってくださって、とても救われたのを覚えています。戸籍上も我が子として受け入れ、育てたいという養親の思いがあってはじめて成立する制度ですから。そのこともあって、最終的にストークサポートに登録することを決め、縁組をお願いすることになりました。
初めて我が子を抱いた日・・・私を待っていてくれたんだ!
―実際にお子さんを迎えられたのはいつ頃ですか。
瀬奈:それから約10か月後です。その間、自分たちが養親としてふさわしいのか、家庭訪問などの審査を受けたり、さまざまな研修にも参加しました。この準備期間が私たちにとっては妊娠期間だったのかなと思います。
―こういうお子さんがいますがどうですかと、前もって打診があるのですか。
千田:ある日、急に団体から僕の携帯電話に連絡が来て、今日明日にはどうするかお返事くださいと言われました。まだ生まれる前で、性別も分かりませんでしたが、登録後、待機期間に入った時点で、いつどんな子が来てもいいと心の準備はできていましたので、帰って妻と話して、翌日にはお受けしますとお返事しました。
―初めて対面された日のことを教えてください。
瀬奈:初めて会ったのは生後5日目。男の子でした。事前に産院から、まだ哺乳瓶でミルクを飲むのが下手なので、レクチャーの時間をくださいと言われていました。その産院は基本的に母子同室ですが、この子は生まれてすぐに生母と離されて、一人ぼっちでした。
もちろん看護師さんが交代でみてくださっていたのですが、私が初めて抱っこしてミルクをあげたら、レクチャーもなしにすんなり飲んでくれたんです。「あぁ~、ママを待っていたんだね~」と、その場にいた全員で泣きました。今でも思い出すと涙が出ます。
車で産院へ向かうときはいなかったのに、帰りはこの子と一緒。抱っこして駐車場まで歩く間、いつもよりおひさまがキラキラして見えました。あの光景は今も忘れられません。
養子縁組が「勇気ある決断」ではなく「あたりまえの選択肢」に・・・
―特別養子縁組でお子さんを迎えたことを公表されたのは、数か月後でしたね。
千田:6ヶ月の試験養育期間を終えて、裁判所で特別養子縁組の申し立てが受理されると、戸籍上も親子になることができます。それまでは実親が養子縁組を撤回することもできるので、公表は控えていました。
僕たち夫婦は舞台に立つ仕事なので、憶測で書かれたゴシップ記事などが出ると、将来息子がそれを見て傷つくことも考えられます。ですから養子縁組が成立したら、自分たちの口できちんと公表しようと決めていました。
―発表後、周囲の反応はいかがでしたか。
瀬奈:私たちはきっと各方面からいろんな批判もくるだろうと覚悟していました。でも幸いそのような声は一件もありませんでした。昔は養子に対する偏見もあったのかもしれませんが、みなさん理解してくださって、随分時代が変わったんだなと感じました。
「素晴らしいことをしたね」「勇気ある決断だね」と言っていただくことも多かったです。その言葉はとてもうれしかったのですが、特別養子縁組が勇気ある決断ではなく、あたりまえの選択肢として浸透してほしいというのが私たち夫婦の本当の願いです。
―今、息子さんとの生活はいかがですか。
千田:一緒に暮らしてみて実感したのは、親子って血のつながりじゃないということ。これは自信を持って言えます。息子はもう2歳半になりましたが、昨夜は珍しく、赤ちゃんの頃に戻ったみたいに夜泣きをしました。それでタオルケットにくるんで僕が抱っこして、夜中の2時ごろ外へ散歩に行きました。するとウトウトしだすのですが、また家に帰ると泣いてしまう。
瀬奈:結局、彼が2回外へ連れ出してもダメで、最後は私も一緒に3人でお散歩。コンビニでお菓子を買って、それを食べて寝ました。なんだか楽しかったですね。
千田:息子を抱っこして歩きながら思ったのは、よく「愛着形成」と言いますが、子どもが助けを求めたときに、抱っこして安心感を与えることで、愛着を形成していく。これがなければ、たとえ生みの親でも、親子の絆は深まらないでしょう。
「必要なのは血のつながりではなく、愛だ」という言葉を聞いたことがありますが、まさにそうだなと思います。血のつながりを否定しているわけではありませんが、その上に愛があれば、一番幸せなんじゃないでしょうか。
―この先、息子さんには養子であることを伝える予定ですか。
千田:特別養子縁組では、本人に出自の事実を伝える「真実告知」は子どもの権利だとされています。本人が知る前に第三者から聞くのを防ぐためにも、なるべく小さいうちに伝え始めるのがいいそうです。
瀬奈:少し早いですが、私は練習も兼ねて、息子とお風呂に入ったとき「ママのおなかはこわれてて、あなたを産んであげることができなかったんだよ。もうひとりのお母さんのおなかから産まれて、ママのところに来たんだよ」と話しています。まだよくわかっていませんが、徐々に理解してくれるといいですね。
千田:中には養子を迎えたことを周囲に隠すかたもいるそうですが、親が隠してしまったら、子どもはその事実を後ろめたいこととしてとらえてしまうかもしれません。
会う人全員に養子だと言って回る必要はありませんが、特別養子縁組はハッピーなことで、隠すことじゃないんだよというのは、息子に伝えたいと思います。
さまざまな家族のカタチが受け入れられる社会をめざして
―息子さんを迎えた今、不妊治療の時代を振り返って、何か思うことはありますか。
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