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不妊治療・妊活のクリニック探し・情報収集ならあかほし 体験談 子どもを望んでいた結婚生活。しかし、見つかったのは「乳がん」でした【リアルストーリー/子どものいない女性の生き方】

子どもを望んでいた結婚生活。しかし、見つかったのは「乳がん」でした【リアルストーリー/子どものいない女性の生き方】

2024/04/18 公開

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「初めて子どものいない女性たちの本音を聞いたときは驚きと戸惑いのほうが大きく、すべてを受け止めきれませんでした」と語る、子どものいない女性を応援する「マダネ プロジェクト」主宰者・くどうみやこさん。

「子どもがいない思い」を閉じ込めた箱を開けるのはとても勇気がいることです。ふれられたくなかった感情や、本人さえ気づかなかった感情があふれ出します。女性たちそれぞれのリアルな人生ストーリーを、くどうみやこさんの著書『誰も教えてくれなかった子どものいない女性の生き方』より抜粋して紹介します。

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ニューヨークでボランティア活動に没頭した日々

O・Mさん(63歳・既婚・専業主婦)のケース

仕事を通じて知り合った夫とアメリカへ

「子どもは1ダース欲しかったくらい」

ちょっと大げさかもしれないけれど、20代の頃はそれくらい子どもがたくさん欲しいと思っていたんです。ところが、結婚したのが30代半ばと遅めで、夫の海外赴任先で病気を患ったりして、子どものことを考える間もなく過ぎてしまいました。

20代のときに婚約していた彼がいましたが、結局あかんようになって結婚までには至らずでね。結婚して家庭に入る予定だったので、いったん仕事は辞めていたけれど、また服飾デザイナーとして復帰。

その後、仕事中心の生活が続いて、あっという間に30代。そんなある日、中国料理店でたまたまアパレル商社の社長と同席したのがご縁で仕事を請け負うことに。その仕事を通して知り合ったのが、20歳年上の夫でした。

語学が堪能な人で海外にも一緒に行ったし、いわゆる仕事仲間の一人でした。33歳で知り合って、35歳で結婚。年は離れていますが、夫の親戚とも仲良くなって歓迎してもらいました。

結婚してからも仕事は続けていたけれど、間もなく夫の仕事でアメリカのオハイオに行くことになり、そのタイミングで辞めました。

子どもを望んでいた結婚生活。しかし、乳がんを発見。

オハイオに行ってから、今までしてこなかったお稽古事を始め、オイルペンティングとステンドグラスの趣味にはまりました。

その頃、胸にしこりがあることに気づいたのですが、ニューヨークに引っ越すことが決まっていたので、まず引っ越しをすませてから病院に行きました。そこで乳がんと診断されました。39歳のときでした。

結婚した当初から、私はできたら子どもは欲しかった。アメリカに移ってからは、アメリカ国籍の子どもが欲しいとも思っていました。夫は前妻との間に子どもが2人いることもあってか、「できたらできたでいいけれど、養子でもいいじゃないか?」という話はしていました。

アメリカは日本に比べて養子を迎えるのは普通のことなので、夫もそういう考えを持っていたのでしょう。

乳がんの手術をしたあとは抗がん剤治療が必要で、子どものことはそのときにあきらめました。抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けて大変でしたが、ニューヨークに引っ越したばかりで友人がいなかったから、病院で先生や患者仲間に会えるのが楽しみでもありました。

看護師さんに教えてもらい、日本人の「乳がんの会」にも参加しました。アメリカにも乳がん患者の集まりはあったけれど、日本語でしゃべりたかったんです。

10歳年上の日本人の看護師さんが主宰されていて、当初は1年に1回か2回開かれている会だったのですが、私が加わるようになってからは2カ月に1回くらい開催していました。

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乳がんの会に参加し、活動に没頭する日々

その看護師さんは、がんが骨に転移して亡くなってしまいましてね。とてもショックでしたが、会は私が引き継ぐことにしました。

生前、体調を心配して連絡したら、「大丈夫よ。でも乳がんのニュースレターをつくりたかった」と話していました。ワープロなんて打ったことがなかったけれど、「じゃあ、私がやります!」とそれも引き受けることに。

患者同士の会合、ニュースレターの作成、乳がん患者に電話で話を聞いたり、治療を受けるにあたり通訳できる人を探したりと、ボランティア活動に没頭しました。ニュースレターのことがニューヨークの朝日新聞に掲載されたことがあって、参加者もふえていき、結局10年続けました。

ボランティアの概念がアメリカと日本では違うように感じます。会を主宰していた看護師さんにボランティアの心得を教わりました。

・自分の意見を相手に言ってはいけない。押しつけてはいけない
・してあげている、やってあげていると思ってはいけない
・あまり深入りしてはいけない
・受け身で話を聞いてあげること。時間がないからと話を切り上げてはいけない

実際にやってみると、ボランティアってこんなに時間を使うのか、お金も使うのかと。

話を長時間聞いていると、すごく疲れるし、生気もとられる。しんどいことも多いけれど、ありがとうと感謝されるので続けられた。子どもがいないからできたということもあると思いますね。

アメリカはボランティア文化が根づいているので、夫も「嫁さんが乳がんの会のボランティア活動をしている」と周囲に誇らしげに話していました。ボランティア活動に没頭していたから、子どものことを考えず、時が過ぎていった感じです。

帰国後、新しいことに挑戦

50歳のとき日本に帰国しました。

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大人世代のライフスタイルからマーケティングまで、時流やトレンドをとらえた独自の視点で情報を発信。近年は子どものいない女性を応援する「マダネ プロジェクト」を主宰。自分らしく自由で軽やかに過ごすライフスタイルを理想に掲げ、新たな価値観や生き方を提唱。これからの大人スタイルを追求している。著書に『商品PRのやり方が面白いほどわかる本』(中経出版)、『誰も教えてくれなかった 子どものいない人生の歩き方』(主婦の友社)がある。マダネ プロジェクト「つながるサロン」(子どものいない女性限定) GoodMorning by CAMPFIRE (https://community.camp-fire.jp/projects/view/446996)
マダネ プロジェクト https://www.madane.jp/

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