【乳がん全摘/だいたひかるさん】45歳、乳がん私も子どもを産めますか?独占インタビュー②
治療の真っ最中に乳がんが見つかり、右の乳房を全摘したものの2年後に再発、いっときは妊娠をあきらめたというタレントのだいたひかるさん。45歳で妊娠するまでの、涙と笑いの8年間の日々をたっぷりとうかがいました。
だいたひかるさんの妊活History
38歳
結婚。妊活スタート
自己流のタイミング法7回。
Aクリニックで検査、夫婦とも特に問題なし。
タイミング法1回目で陽性になるが化学流産。
その後クリニック指導のタイミング法に6回トライするも、化学流産を2~3回くり返す
39歳
B病院に転院し、人工授精8回トライ。
体外受精へ進み、5回採卵、5回移植。
40歳
体外受精専門のCクリニックへ転院。
自然周期の体外(顕微)受精で2回採卵。
受精卵2個を2回に分けて凍結胚を移植するも授からず。
その後、健診で乳がんが判明。手術で右乳房全摘。
術後、リンパ節への転移がわかり、抗がん剤治療。
42歳
乳がん局所再発、手術と放射線治療。
45歳
ホルモン療法を中断し、不妊治療再開。
5年保存していた凍結胚盤胞1個を移植し妊娠。
⇒⇒独占インタビュー①はこちらから
あれよあれよという間に「乳がん患者」になった私
軽い気持ち出かけた乳がん検診。そこでだいたさんは、あっという間に「乳がん患者」になってしまったとふり返ります。
「なんかね、早押しボタンを押すみたいだったんです。触診で胸元を開いたとたんに、先生が右の胸をパッとさわって『右、しこり!』って、『ピンポン!』みたいな感じ(笑)。パッと見てわかっちゃったんですね。腫瘍は2.7㎝とけっこう大きかったです」
だいたさん自身は、がんの存在にまったく気づいていなかったそうです。言われてさわってみると、確かにかたいしこりがあるにもかかわらず…。
「がんって、無症状なんです。歯が痛ければ歯医者に行くけれど、乳がんは痛くもかゆくもない。胸が張っているなぁとは思っていたけれど、妊活の影響だろうと思い込んでいました」
事態はバタバタと進んでいきました。大きな病院を紹介され、そこでマンモグラフィー検査や、細胞に針を刺して組織をとる細胞診検査などを行ない、最終的に乳がんのステージⅡAであることを告げられたのです。
「なんていうか…自分のことではないみたいでした。ああ、これが『告知』っていうのか、ライブの告知はしたことあるけど、がんの告知ははじめてだなぁ…なんて、ぼんやり思いました」
考える余裕もないまま、さまざまなことが告げられます。リンパ節転移があるかは手術しなければわからないこと、乳房を全部切除する(全摘)か、部分切除をするかを決めなくてはいけないこと、全摘する場合には乳房再建ができること…。
「私の家系にはがんの人が少なくて、ステージⅡと言われても、そのステージがいくつあるのかもわからなかったんです。全摘か部分切除かって聞かれてもちんぷんかんぷんなので、先生に『おすすめは?』って聞いてしまいました(笑)」
夫婦で話し合い、医師の「おすすめ」だった全摘手術を受けることに。術後にリンパ節に転移があることがわかり、ステージⅡBに。抗がん剤治療も始まりました。
「手術したら全部終わると思っていたんです。ところが転移が見つかって、抗がん剤治療も始まって…。
なんていうんでしょうね。ある日突然、真冬の海の中にポンと投げ捨てられたみたいな気持ちになったんです。未来がまったく見えなくなってしまった。
実際には、がんになっても元気に仕事や家庭に復帰している人もいるんですが、メディアでは壮絶な闘いをしたがん患者さんしかとり上げられていないので、『がん=死』と思い込んでしまっていたんですよね」
なんで私ばかりがこんなひどい目に?
乳がん検診の日、おなかに戻すはずだった受精卵はどうなったのでしょう?
「クリニックにお願いして凍結の状態で保存してもらうことになりましたが、正直言って、不妊治療なんてもう絶対にできないって思いました。でもね、夫は違ったんです」
乳がんの診断を受けたとき、小泉さんは担当医に「乳がんでも赤ちゃんを産んだ人はいますか?」と質問したのだそうです。
医師は「たくさんいらっしゃいますよ」と言ってくれたものの、だいたさんにとっては遠い世界のことのようでした。
「だって、不妊治療中の1カ月って貴重じゃないですか?でも抗がん剤の治療には半年かかってしまうし、その間に私は年齢が上がる。そもそも、自分の命だってあやういのに、子どもなんてとても考えられない。もういいよ~って気分でした」
それでも夫の小泉さんは前向きでした。
「彼は、松岡修造さんなみのポジティブ思考なんですよ。乳がんの検査のときも、家中に『大丈夫!』『大丈夫!』って書いた紙をあちこちに貼って、さし押さえか!みたいな状態にしていたんです。しかも全然大丈夫じゃなかったし(笑)」
実は、がんとわかって手術まで1カ月近くあったことから、不妊治療のほうのクリニックから「その間に一度採卵しますか?」との提案があったのだそう。
「がん治療の影響で、今後、採卵できなくなる可能性があると言われました。私は先のことなんて考えられなかったので、『もういい』って言ったんです。なのに夫は超ポジティブなので『後悔するから採卵しておこう!』って言うんですよ。そのときは、しかたないから採っておくかぁって感じでした」
しぶしぶ採卵したものの、採った卵胞(らんぽう)は「まさかの空胞!」だったのです。
「卵胞の中に卵子がいなかったんですよ。残酷ですよね、手術前ギリギリに、2つの病院をハシゴして採卵した結果がコレ?もうね、空気読めよ!って(笑)」
なんでこんなにひどいことばかり続くのだろう、そんな気持ちに押しつぶされそうになったとき、だいたさんはふとひらめきました。
「こんなに悪いことばかり続くんだったら、いいこともあるかも?と思って、スクラッチ式の宝くじをやってみたんです」
おお、ポジティブ。さてその結果は?
「当たりました。300円」 …悲しいほどに微妙でした。
悲しくて、くやしくて、なさけなくて…、そんな気持ちを小泉さんにぶつけると、思いがけない言葉が返ってきました。
「いや、ラッキーだったんだよ! だって、移植の日にたまたま不正出血があったから乳がん検診に行ったんだよね。もしもあのとき移植して妊娠していたら、妊娠、出産、子育てで乳がん検診なんて受けられなかったよね。子どもに命を救ってもらったんだよ。だから、がんを治して今度こそおなかに戻してあげようよ」
だいたさんは、ハッと気づきました。「まだ見ぬ子どもからもらった命。とにかく今は、がんを治そう。まずはそれだ」
1つだけ残した凍結胚盤胞の卵ちゃん。乳がんが発覚し、5年間待たせることに…
⇒⇒夫・小泉貴之さん【独占インタビュー①】命がけの不妊治療再開を支えた夫のホンネと葛藤
「不妊治療をしていた私は幸せだったんだ」と気づいた手術の日の夜
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