努力の甲斐もなく、数値がダウン!?
ところが、3カ月後、満を持してクリニックを受診すると、ホルモン値が軒並みダウン! 毎週鍼治療にも通って、あんなに頑張ったのに?
鍼の先生の「3カ月通えば、数値もよくなる」という言葉を思い出して恨めしくもなりましたが、腹を立てたり、塞ぎ込んだりしたところで、過ぎ去った時間は戻らないし、数値が改善するわけでもありません。
結局、その周期も卵胞は育たず、採卵はキャンセルになりました。
「年齢的な限界がきているかもしれないね。もう採卵は厳しいかもしれない」
先生からこの言葉を聞いたときは、次に進む踏ん切りがついてすっきりした、という気持ちのほうが強かったですね。
凍結胚を増やして妊娠の可能性を高めることはできない――でも、そもそも「ダメでもともと」と始めた不妊治療です。自分にできることはやったし、それでダメなら仕方がない。体質改善の効果はうまく表れませんでしたが、納得して前に進むためのいいきっかけになった、と言えるかもしれません。
移植にむけた体づくりにシフト
「採卵を諦めて移植をする」と決めたことで、終わりが見えなかった不妊治療が一転してゴールがあるものになりました。そのとき凍結していた胚は3つ。最大3回のチャンスで妊娠できなければ、私の妊活は終わり、ということです。
そこで、私の妊活も方向転換。
それまでは「いい卵をできるだけ多く育てる」ことが目標でしたが、移植にむけて「胚が着床しやすい環境を作る」ことにシフト。
おなかにカイロをはったり、靴下を重ねばきしたりと温活を継続しつつ、新たに骨盤矯正や腸のマッサージなどを取り入れました。
便秘気味で固かったおなかが、腸のマッサージを受けるとふわふわとやわらかくなった実感があり、これは私には合っていたのかな、と思います。
腸マッサージでおなかがやわらかくなった!私には合っていました。
移植にむけた体づくり!ということでトレーニングも。
なつめをブレンドしたハーブティーを飲んで体の中から温活♪
最後の移植の前日は、夫婦で明るく「前夜祭」
いよいよ初めての移植の日。凍結していた胚のうち、グレードよいものを1つ、子宮に戻します。凍結胚の形態もよく、かなり期待をしていたのですが、妊娠判定ではかすりもせず…。
残っていた2個はグレードがいいものではなかったので、着床の可能性は低いと言われていました。なので一気に2個戻そうか?と。
2個戻したら不妊治療は終わりなので精神的なショックを受けるかもしれないとカウンセリングも勧められましたが、「先生、大丈夫です。2個戻してダメならこれで終わりにします」ときっぱり伝えました。
これで最後の治療ということで、私たちは迷いなく2個移植を選択しました。残りの凍結胚は2つなので、泣いても笑っても最後の移植、不妊治療からの卒業です。
移植の前日には夫とふたりでお寿司屋さんにいって、たらふく食べて、なんだか打ち上げのようなテンションでしたね。
41歳でスタートし、43歳で最後の移植の日を迎えるまで、自分たちにできることはやって頑張ってきた。移植の結果が願っていたものではなかったとしても、後悔は残らない。ふたりともそう思えたし、私としては単純に「不妊治療が終わる」ということもうれしかったかな(笑)。
このとき移植した2つの胚のうちの1つが、今、私の目の前にいる息子。生まれてきてくれただけで、一生分の親孝行をしてくれたな、と思います。
息子は1歳になりました!
前の記事を読む>> 私は41歳、夫は10歳年下。「不妊治療の最短フルコース希望」で始めたものの…【宮崎宣子アナウンサーの40代妊活#1】
プロフィール●宮崎宣子さん
フリーアナウンサー・経営者/1979年9月4日生まれ。宮崎県出身。2002年4月に日本テレビ入社、2012年12月に退社後はフリーアナウンサーとして活躍。2018年10月にオーガニックハーブによるボディケアブランド『EMARA』を設立し、代表を務める。2021年12月21日に10歳年下の男性と再婚後、2022年4月に早稲田大学大学院経営管理研究科に入学。仕事と大学院生を両立しながら不妊治療を続け、2023年10月4日に第一子となる男の子を出産。@miyazaki_nobuko
取材・文/浦上藍子
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