2ページ目(2ページ中) | 【2度の流産…】淡い期待を抱いた“超初期妊娠兆候”。そして、ひたすらツラかった“流産手術”の体験を書きます
手術日当日は、まず術前処置からスタート。まずは痛み止めの座薬を入れ、30分ほど経ったところで、子宮口を広げるためにダイラパンと呼ばれるものを挿入。これがとても苦痛かつ激痛でした。体液を吸収することで膨らんでいくダイラパンは、入れた刺激による痛みに加え、痛みがどんどんと増強。冷や汗が止まらない状況の中、手術着に着替えて控室で待ちます。
痛みに耐えながら、ようやく呼ばれて向かった部屋は、私の落ち込んだ気持ちを表現したかのように薄暗く照明が落とされた手術室でした。主治医の顔がかろうじて見える程度の暗い部屋に、看護師さんがふたり。とても優しく接してくれていたことだけは覚えています。
すぐに麻酔で眠り、全く傷みを感じることなく30分程度で手術は終了。気がついた時は回復室と呼ばれる部屋のベッドの上でした。麻酔が抜けるまで1~2時間程度は眠っていたと思います。
目が覚めたころに主治医がやってきて、摘出した組織を見せてくれました。ピンポン玉程度の大きさだった記憶があります。そして、赤ちゃんらしき組織は全くなかったとの説明が。さらに詳しい検査に出し、後日改めて結果説明をすると、帰宅の許可をもらいました。
夫が迎えに来てくれるまでベッドで休ませてもらい、帰宅。私のとても短い妊婦生活が終了したのです。
流産手術後は虚無感に襲われることに
手術したことで、私の体は妊娠していたという状態から解放され、わずかにあったつわりもなくなり、妙にスッキリした気持ちに。
このスッキリ感が、なんとも言えない虚無感になり、ふとした時に涙が出るといった不安定なメンタル状態になりました。
出血や腹痛といった異常がなければ3日後から仕事復帰の許可をもらっていましたが、上司がメンタル面を配慮してくれたので術後10日間休むことに。とにかく自分のことで精一杯の精神状態だったので、休めたことは本当にありがたかったです。
しばらくは赤ちゃんを見ては涙が出る、妊婦さんを見ては心苦しくなる…といった心の不調は続きましたが、何とか日常生活を送れるように。
「時間が薬」といいますが、まさにそのとおりでした。
1回目の流産から1年半後、2回目の妊娠
私の2度目の妊娠は、はじめての流産体験から1年半後。
不妊の原因が子宮内膜症と分かり、治療をした矢先のスムーズな自然妊娠だったので驚きを隠せませんでした。
超初期妊娠兆候はありませんでしたが、1回目と同様に生理予定日付近には着床出血と思われる微量の出血が。不妊治療も一旦ストップしていたため、妊娠確認には近所にある(昔ながらの?)産婦人科を受診しました。
流産に対する不安から、1回目より慎重になる
5週目に入ったところで受診し、胎嚢を確認。やっぱり妊娠していたんだと改めて実感しました。ですが、前回の経験から全てが流産に繋がるのではないかと不安に…。普段のちょっとした動きにも配慮し、飛び跳ねない、重いものはなるべく持たない、背伸びをしないなど、過剰なほどに気を付けていました。
7週目に心拍確認へ受診するが、赤ちゃんは見えず
7週に入り、今度こそは!と願いながら再び心拍確認へ。しかし、前回同様に胎嚢は空っぽ。これはダメなやつだ…とすぐに思いました。先生も苦い表情でしたが、来週まで様子をみましょうと、8週まで様子をみることになります。
前回同様、自然流産時の注意点について、出てきた組織は持ってくるように説明を受けました。ラップに包み、食品保存容器でも何でもいいから持ってくるようにとのこと。前の病院では容器を渡されたのに…?と思いましたが、病院による違いを実感。再び手術までの絶望的な期間を過ごすことになります。
流産かもという状況が2回目ということもあり、信じたくない気持ちが高まっていました。私は赤ちゃんが育たない体なのか…と前回とは違う不安にも襲われることに。受け止めたくない現実を何とかしようと、違う病院に行けば赤ちゃんが見えるかも!と、初診を装い他院を2か所受診しました。
しかし、結果は同じ。前回も流産だったことを伝えると、不育症の可能性があると検査をすすめられました。
まさに私が心配していたワードが告げられ、より落ち込む結果となったのです。稽留流産が確定するまで、自分なりに悪あがきをしてみましたが、事実が変わることはありませんでした。
あわせて読みたい»»「不育症」原因・検査・治療について詳しく
2回目の流産手術は激痛から始まる
結局9週に入ったところで、2度目の流産手術を受けました。
前回の医療施設との違いは、術前処置を前日におこなうという点。子宮口を広げる処置が手術前日にありました。
子宮口を広げるために挿入されたのはラミナリアというもの。12時間程度ゆっくり時間をかけて体液を吸収しながら膨らむ素材のため、前日に挿入されました。前回同様、挿入しただけで激痛なうえ、ジワジワと膨らんでいくことによる痛みは壮絶でした。この状態で一晩?!と思いましたが、なんとかそのまま帰宅。
そこから朝まで痛みと戦い、一睡もできませんでした。前回のように1日で終わる病院にすればよかった…と非常に後悔する出来事になります。
朝を迎え、痛みに耐えることに疲れた状態で手術日を迎えました。
前回とは違い、とても明るい手術室です。ほぼ裸の状態で、主治医がくるまで体感では10分程度待たされた記憶があります。その後麻酔で眠り、ようやく痛みから解放。前回同様に術後は1~2時間程度眠り、夫の迎えで自宅に戻りました。
2回続いて流産となった私のメンタル
流産が2回続いたことで、妊娠しても赤ちゃんを育てられない体なのでは…と、かなり落ち込みました。手術後、指摘された不育症に関して検査をしますが結果は異常なし。それでも気持ちが晴れることはありませんでした。
ですが、夫や友人、親戚、主治医の励ましもあり、「日常を楽しむ」という当たり前のことを思い出し、ゆっくりと前向きな生活を始めます。不妊治療から離れ日々を楽しく過ごすことに徹した結果、3度目の妊娠を迎えることに。6年半という長く辛い不妊生活を終えることができました。
私が妊娠するまでの記録は【子宮内膜症、流産、不育症疑い…すさんでいた私が妊娠するまで】にてつづっています。
まとめ
私の2回続いた稽留流産、流産手術体験をご紹介しました。心も体もボロボロになる流産体験は本当に辛い思い出です。
それでも何とか乗り越え、現在は1歳8ヶ月になる娘の育児に奮闘中。妊娠するのも奇跡、無事成長して生まれてくるのも奇跡なのだと身を持って実感しました。この記事が、同じような体験をしているかたにとって少しでも心の支えになれることを願っています。
※この記事で紹介した内容はすべて個人の体験です。治療や薬の処方などに関しては必ず医師に相談してください。
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