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不妊治療・妊活のクリニック探し・情報収集ならあかほし 体験談 流産、そして不育症…つらさの向こう側にあった妊娠【100人の妊活・不妊治療記#018】

流産、そして不育症…つらさの向こう側にあった妊娠【100人の妊活・不妊治療記#018】

2024/09/29 公開

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はじめての妊娠で流産を経験。その後、やり場のない思いを抱えながら、不妊症・不育症ピアサポーター資格を取得。妊活を再開して赤ちゃんを授かった、odecoさん(31歳・夫31歳)の体験をお届けします。

【100人の妊活・不妊治療記#018】みんながどんな妊活・不妊治療でママになったのか取材しています。(ご本人の年齢や検査の数値などは取材時点のものです)

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どうしようもない不安に襲われ、妊娠9週で稽留流産

28歳のときに妊娠。そして、9週で稽留流産を経験しました。妊娠したころはなんとなく気持ちが悪かったり、だるかったり、つわりのような症状があって、気持ちが落ち込むこともありました。

というのも、妊娠についての知識がなかったため、この先、どういう準備をすればいいのかわからない。ささいなことかもしれないけれど、それをだれに相談すればいいのか、このあとに待ち受けているすべてのことに対してどうしたらいいのか、わからなくて。

これからのことを考えると、妊娠してうれしいという気持ちよりも、不安のほうが先立ってしまい、妊婦になった自分を楽しむ余裕もありませんでした。結局、だれに相談しようかモヤモヤしている段階で流産してしまったのですが…。

不妊症・不育症養成研修をへて、ピアサポーターに

流産して1週間くらいたったころのことだと思います。私は、助産師をしている知人に、つらい気持ちや、この経験を生かしてだれかの役に立てないだろうかと相談しました。

そのときに、日本助産師会が主催する「不妊症・不育症ピアサポーター」制度があることを教わり、受講を即決。妊娠中に感じていた、だれかを助けたり、何かを還元したりすることにつながるのではと思い、養成研修をへて、ピアサポーターの資格を取得しました。

自分の身に起こったことについては、ネガティブな気持ちをリセットするように心がけました。ピアサポーターの研修を受けるころには立ち直っていたので、研修内容が心のもち方に影響したわけではありません。でも、受講前と受講後とでは、妊活に対する気持ちに大きな変化がありました。

それは、受講前は不妊治療に敷居の高さを感じていましたが、不妊治療や養子縁組といった、さまざまな情報を得たことで、不妊治療が特別なものではなく、だれでももっと身近に挑戦できるものである!と感じるようになったのです。

また、流産経験とピアサポーターの研修を通して感じたのは、10代のころから女性は自分の体について知っておくことの重要性です。妊娠に限らず、出産や体のしくみについて学ぶ機会があれば、妊娠したときなど、将来的に自分の心の支えになるだろうと思いました。

自己流では授からず、不妊治療専門医を受診

流産後は、出血がしばらく続いたため、しばらくは妊活をストップせざるをえませんでした。生理管理アプリ「ルナルナ」で排卵日を確認し、排卵日予測検査薬を使いながらの自己流タイミング法をスタートしたのは、翌年になってからです。

婦人科で排卵日だけチェックしてもらい、一度目の妊娠のときに「これを飲んで授かったよ」と聞いた体質改善のサプリメントを、妊活の再開にあたって再開。それと同時に、不妊治療専門クリニックを受診することに。

結婚してすぐのころは、「子どもは欲しいね」「生理不順だし、タイミングをとったほうがいいよね」くらいの気持ちでしたが、本格的に不妊治療を始めると決断してからは、夫と積極的に会話をして、情報を共有するようにしました。

不妊治療にかかる費用などについてもピアサポーターの講習でインプットしていたので、夫に「人工授精だったら、このくらいの費用がかかるよ」「体外受精にステップアップすると、これぐらい費用がかかるから、場合によっては養子という考え方もあるかもね」と伝え、イメージしながら、治療と向き合う心づもりに。

そして、夫婦で一通りの検査を受けた結果、夫は特に問題のないことがわかりました。私も生理不順があるくらいだったため、医師の指導のもと、タイミング法から始めることになりました。

妊娠したけれど、不育症の可能性が!

妊活中には、宅トレをめちゃめちゃ頑張りました。ふだんから運動していなかったうえに、当時はリモートワークだったこともあって、竹脇まりなさんのYouTubeチャンネルを見ながら、ひたすら運動。冬の室内でも半袖・短パンで汗をかくほど動いて、体もポカポカになりました。もともと冷え性だったので、血流がよくなる赤外線のバンドを足首に巻き、温活も頑張りました。

そして、2回目のタイミング指導で妊娠! 妊活をスタートしてすぐ授かることができたのです。ところが血液検査をすると、今度は不育症の原因のひとつであるプロテインS欠乏症であることがわかりました。

ただ、不思議とショックはありませんでした。一度流産しているので、次に同じことが起こる可能性もあるだろうくらいの気持ちでいましたし、不妊治療をしても一度ですべてがうまくいくわけではないから。私は「そういう体質なんだ」と思い、前回の流産もそれが原因だったのかもしれないと、事実を冷静に受け止めました。

夫も「引き続き体調管理には気をつけようね」と言う程度で、夫婦ともども落ち込むことはなく、その後は薬を服用しながら妊娠生活を送りました。

気持ちの落差がこわくて、妊娠中はずっと“無の境地”に

妊娠がわかったとき、もちろん「やったー」という喜びはありました。でも、気持ちを上げすぎてしまうと、何かあったときの落差が大きくなるので、基本的には“フラットな気持ち”で過ごしました。夫も同じように感じていたらしく、お互いに「妊娠したよ、やったね!」という程度だったと思います。

前回の妊娠では、どうすることもできない不安があり、それが自分のつわりをひどくしたと思い、それで流産したのではないかと落ち込んだこともあったので、今回は妊娠しているかどうかわからないくらい“無の境地”をキープ。

喜びも悲しみも抑え、つわりがあっても、それすら感じないくらいの気持ちでいました。つわりで吐いたときも「大丈夫、大丈夫」と気持ちをコントロールしながら過ごしたので、妊娠中にうれしかったこと、悲しかったこと、腹が立ったことはないんです。

おそらく喜べば喜ぶほど、うまくいかなかったときの落ち込みが深くなるので、そうならないよう自分に保険をかけていたのでしょうね…。

急性胃腸炎やコロナ感染を乗り越えて、出産

二度目の妊娠では、前回感じたような不安をいだくことはありませんでした。同じような悩みを抱える人がたくさんいることを知り、知識を得たことによって、不安が払拭されたのだと思います。

前回は、妊娠7週ぐらいのときに職場に報告し、その2週間後に流産しました。だから今回は安定期に入っても、だれにも言わずに過ごしていました。

妊娠中には、急性胃腸炎にかかって救急搬送されて入院したり、コロナに感染して自宅で療養したりと、順調とはいえないこともありました。それでも、タイミング法を始めてから1年後、赤ちゃんを無事に出産することができました。

取材・文/小山まゆみ

*『赤ちゃんが欲しい妊活スタートBOOK』の記事を再編集しています。

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