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2ページ目(2ページ中) | 【紺野まひるさん】ひどい生理痛に悩んだ宝塚時代…。子宮筋腫を乗り越えて2児の母になるまで/独占インタビュー

2020/12/02 公開
2023/05/07 更新

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約10年間、気になりながらも見過ごしてきた子宮筋腫と向き合うことを決めたのは、結婚してから。

「31歳で結婚して32歳で人間ドックを受けたんです。 なんと子宮筋腫が8㎝にまで巨大化していてびっくり!

私の子宮筋腫は液状だったのでぶよぶよしていたからかたくなくて、おなかをさわっても筋腫のふくらみにまったく気づきませんでした。

子宮筋腫があっても妊娠する人はいると聞いたけど、『筋腫がないほうが赤ちゃんの居心地はいいと思うよ』と先生に言われ、『それもそうか』と(笑)。

子どもはいつか欲しかったので開腹手術を決断しました。
でも、手術をして気分的にはスッキリしたけど、生理痛はなくならなかったんですよね …(苦笑)」

第1子を妊娠したのは手術から約1年後。
「妊娠するまで少し時間がかかってしまいました」と紺野さんは当時をふり返ります。

私の経験上、やっぱり“冷え”はよくないと思います

「私の経験上、冷えは授かりづらい原因だったのかなと思います。

痛み止めは解熱剤だから体を冷やすので、まずは体をあたためる生活にシフト。 ホットヨガにも通い、もともと好きだった根菜をさらに食べるようにしました。

そして出産したら、生理痛や冷えが改善されたんです。
私は子宮筋腫を長い間放置してしまったけど、自分の体のことで少しでも気がかりがあれば、迷わずすぐ専門医に相談するのがいいと思います」


※インタビュー内容は『赤ちゃんが欲しい2018秋』掲載当時の情報です。

【この記事のあとに読まれています】

●子宮筋腫が見つかりました。手術はどうしたらいいの?

●【安田美沙子さんの不妊治療】20代からつきあい続けた子宮内膜症。

紺野まひるさん

1977年4月21日大阪府豊中市出身。
1994年に宝塚音楽学校に入学後、82期生として宝塚歌劇団に入団し、雪組の娘役トップとして活躍。2002年9月に退団後は、女優としてドラマ、映画、舞台と活躍の場を広げる。カンテレ・フジテレビ系 火曜夜9時ドラマ「姉ちゃんの恋人」に出演中。

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