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不妊治療・妊活のクリニック探し・情報収集ならあかほし 体験談 42歳が妊活リミット? そんなことはありません。妊活卒業は自分で決める!【太田光代さん】 2ページ目(2ページ中)

2ページ目(2ページ中) | 42歳が妊活リミット? そんなことはありません。妊活卒業は自分で決める!【太田光代さん】

2020/04/26 公開
2023/07/01 更新

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再開したのはその10年後。「3回まで」と決めて再スタートしたとき、私は40代半ばになっていました。

確かに30代のときと比べると、採れる卵子の数は違いました。10年前は1回で10個以上採れたのですが、40代では2~3個。それでも顕微授精で受精卵ができて、二度、子宮に戻すところまではできました。残念ながら着床はしませんでしたが…。

これで最後と思った三度目は、2011年3月11日でした。受精卵を戻す直前に東日本大震災の激しい揺れがやってきて、その日の移植は延期となりました。

震災後は、私たちの会社でも被災地支援にタレントを派遣するなど、さまざまなことに追われました。胎内に戻すタイミングを失った2つの受精卵(「卵ちゃん」と「卵卵ちゃん」)はそのまま凍結を続け、いまも眠っています。

この2つの受精卵は、私にとっては大切な2つの命。未来につながる可能性を秘めたもの。

子宮に戻すことも考えましたが、着床しなければ失ってしまいます。その可能性は高いので、実行できません。代理母か?とも思いますが、日本ではまだ認められていない制度なので、私は二の足を踏んでしまうのです。

迷いに迷って決断できずにいるということは、私の妊活はいまも続いているということでしょう。

決められないなら、決めない。「休む」でいいじゃない?

わが子を産みたい、育てたい。
そんな女性の根源的な思いを、たやすく捨て去ることはできません。だから決断も、卒業も、つらいのです。

だったらしなくていいじゃない? 私はいつも「つらくなったらお休みしよう」ってみなさんにお話ししています。
実際、「お休みしたら妊娠した!」という人はたくさんいます。お休み中に体力や気力が戻って、またがんばろうと思えることもあります。

休んでいるうちに医療が小さな進歩を見せて、不妊治療のつらさがひとつラクになるかもしれません。実際私の場合、10年間お休みしているうちに採卵時に麻酔をするのがポピュラーになっていて「採卵がこんなにラクだったら、治療を続けていたのに」と心から思ったほどです。(以前の麻酔なしの採卵は痛くて痛くて、あまり痛がらない私でも、>拷問みたいでした)

やめるかどうかは置いておいて、“休むべきタイミング”ならあるかもしれないと思います。

まじめな人ほど、きちんと決められたことを守ろうとします。それは社会ではとても大切なことなのですが、妊娠は体の問題。余裕がなくなってしまったり、ストレスが大きかったり、やせすぎたり、逆に太ったりするようなことがあるなら、卒業というよりお休みするのがいいのでは?

そしてもしも、「自分がやめたいかどうかわからない」「決断できないからきっかけが欲しい」と思っているのだとしたら、夫とゆっくり話し合ってみましょう。年齢、体力、生理の様子、いまの自分の体のことも。

今後子どもを授かったとして、成人するときに自分が何歳になるのかも考えて相談するといいかもしれません。妊活をやめるとしたら、そこに特別養子縁組の選択肢があるのかどうかについても。

すぐに結論が出なくたっていいんです。ゆっくりじっくり考えていきましょう。夫婦生活はまだまだ続くのですから。

太田光代さん

1964年生まれ。雑誌のモデルをへてタレントに。90年、爆笑問題太田光さんと結婚。97年から不妊治療を開始し、体外受精にトライするもいったんお休み。2010年ごろから治療を再開。2回の顕微授精をへて、3回目の移植の直前に東日本大震災が起こり、さまざまな事情から移植を断念。現在、凍結受精卵2つを保存している。93年より、芸能プロダクション「タイタン」を設立し代表取締役をつとめる。

取材・文/神素子 構成/大隅優子(主婦の友社)

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