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不妊治療・妊活のクリニック探し・情報収集ならあかほし 不妊治療コラム 【大島美幸さん2人目妊活記】8年ぶり42歳の妊活は体外受精から。年齢の壁を痛感した流産【前編】 2ページ目(2ページ中)

2ページ目(2ページ中) | 【大島美幸さん2人目妊活記】8年ぶり42歳の妊活は体外受精から。年齢の壁を痛感した流産【前編】

大島美幸さん

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くり返す初期流産に、年齢の壁を思い知った…

採卵手術も、あれはなんとも言えない感覚ですね。

局部麻酔もしてもらっているけれど、私の場合はやっぱり痛かったです。神経を集中してしまうから、痛みにも敏感になってしまうのかもしれません。

どうもあの処置のあとでは、無事に採卵できたと聞いても、「イエーイ!」というテンションにはなれなかったなぁ…。

私の場合は、42歳という年齢のわりに採卵個数は多いほうだったと思います。10個以上採卵できたこともあり、先生からは「30代半ばの人と同じくらいの採卵個数」と言われて、ますます期待はうなぎのぼり!

けれど、問題は移植後です。

着床しても、途中で成長が止まって、初期流産になってしまう…。

自信があった分、「採れるけれど、育たない」ということに、改めてアラフォー妊活の現実を突きつけられた思いでした。

一方で、「最初から体外受精で正解だった、確率の高い治療を選んでよかったんだ」と心から納得する出来事でもありました。こうなったら現実を受け入れて、前を向くしかありません。なんといっても、私は息子や亡き母の思いを背負っている!

ただ、初期とはいえ、流産を繰り返すのは身体的にもこたえますし、精神的にもやはりしんどかった。自然排出を待つ間は、いつ大量出血が起きるかわからない不安もあり、常に気が休まらない日々でした。

治療方針の違うクリニックへ転院!

初期流産が続いたことで、一度立ち止まって考えてみることに。

そして、いろいろな人の話を聞き、自分でもたくさん調べた結果、治療法を変えてみようと、2023年6月に転院を決断しました。

私が選んだのは、低刺激周期の治療を行うクリニック。それまで通っていたクリニックは排卵誘発剤で多くの卵子を育てる方針でしたが、今度のクリニックは使用する薬は最小限にとどめ、少数でもできるだけ質のいい卵子を採ることを目指します。

また、妊娠の可能性の高い胚盤胞まで成長するのを待って凍結するという方針も、以前のクリニックとは違う点でした。

同じ体外受精でも、クリニックによって考え方がまったく違う。これは転院して身をもって実感した驚きです。

続きを読む【大島美幸さん2人目妊活記】できれば続けたかったけれど…

大島美幸
プロフィール大島美幸さん
1980年生まれ、栃木県出身。1998年に、黒澤かずこさん、村上知子さんと3人でお笑いトリオ「森三中」を結成。2002年、放送作家の鈴木おさむさんと「交際0日」で結婚。妊活休業をへて2015年6月に第一子を出産し、子育てをしながらバラエティ番組などで活躍中。さらに、大島さんとガンバレルーヤの3人で音楽ユニット「MyM」を結成し、1st配信シングル「ASOBOZE」をリリースするなど活動の場を広げている。@morisanchustaff

取材・文/浦上藍子

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