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不妊治療・妊活のクリニック探し・情報収集ならあかほし 体験談 胎嚢確認までの7日間が永遠すぎた!はじめての体外受精で陽性判定、妊娠超初期ライフへ【ただいま進行中!アラフォー妊活記録#18】

胎嚢確認までの7日間が永遠すぎた!はじめての体外受精で陽性判定、妊娠超初期ライフへ【ただいま進行中!アラフォー妊活記録#18】

体験談
2021/11/27 公開
2023/09/16 更新

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そしてもうひとつ、むずかしくも楽しかったのはランチを探すこと。
朝と夜は家で食べるとして、仕事をしているお昼は外で食べるのが基本。ランチ選びで私が自分ルールとしたのが「とにかく栄養のバランスがよく、食べたことで自分の体とおなかの子に安心を与えてくれるランチ」です。

今までは忙しいしカレー!ささっと食べたいからパスタ!とかそんな感じで選んでいましたが、ワンメニューものは栄養が偏る気が…。さらに自分が作る朝・夜ご飯の栄養バランスに自信がなかったこともあり、ランチで栄養バランスのいいご飯を食べて安心を得たい! という気持ちでした。

ちなみに私がとても気に入っていたのは、大丸心斎橋店にある「季節の贅沢 堺 銀シャリ げこ亭」です。堺に本店がある有名店が大丸に出店しているのですが、名物の銀シャリごはんに焼き魚や煮魚、小鉢がいっぱいついた定食がもう最高にバランス◎!決してお安くないはないけど、おなかの子のため! と時々通っていました。食べるものが子を育てるんだ…と思うと、そこを惜しむ気にはなりませんでした。

そして夫にも変化が…!

判定日にクリニックでもらった栄養指導の冊子に書いてあった「流産防止食材リスト」を見た夫がこれ食べてと買ってきてくれたのが、素焼きアーモンドとアーモンドミルク。

たったこれだけのことだったけど、本当にうれしくて夫が協力しようとしてくれている…!とこれまでの治療中に何度も感じた足並みの揃わなさももうどうでもいいやと思えるほど、感動していました。コンビニで買ったその2品を渡されただけで


これとアーモンドミルクを渡されただけで大感動。この日以降、素焼きアーモンドは常に持ち歩いていました

永遠とも思えた胎嚢確認までの日々

この頃、私の仕事はコロナの煽りを若干受けて(今頃!)、これまでにないほど業務は緩やかでした。仕事はこのままで大丈夫だろうか…と不安に思う気持ちはあったけれど、正直言うとラッキーだと感じていました。

この妊娠超初期の状態で、仕事が詰まってしまうことによる無理だけはしたくなかったのです。仕事で無理をして、子どもが…なんて悔やんでも悔やみきれない。今は仕事が少ないことを幸運と思って、とにかく緩やかに過ごそう。

そして世の中のコロナ感染者数の増加は止まることを知らず、常に緊急事態宣言が発出されている状態で、大阪の夜の街は本当にひっそりしていました。飲みにいくことが大好きな私には好都合、物理的に「飲みにいく店が開いていない」のだから飲みたい気持ちに無理やりフタをせずにすみました。友人からの飲みの誘いを断るというストレスも、飲みに行っても隠れるようにノンアルを飲まなければならないストレスもそこにはなく、家でひたすらゆったりと過ごしました。

世の中はよくない方向に行っていたけれど、私はコロナ禍でなければここまで集中して不妊治療にとり組むことはできなかった。少し複雑な気持ちでしたが、とにかく毎日をゆったりストレスなく過ごすことに集中することにしました。

そして判定日から永遠とも思えるような7日間(本当に本当にこの日までが長かった!)を経て胎嚢確認の日。
この日も夫が時間を調整してクリニックに同行してくれました。

内診台に乗って口から心臓が出そうになっている私に先生からは「胎嚢しっかり確認できますね」の一言。よかった…。本当によかった、またひとつハードルを超えた…。胎嚢は12mm、順調ですねとのことでした。

またひとつ夫と喜んで、次は心拍確認へ(またまた7日後!)。我々夫婦は話し合い、不妊治療をしていることを伝え済みである両家の親には心拍確認を無事終えることができて、母子手帳をもらった時点で妊娠を伝えようと決めました。
とにかくその日までこの子を守り通すんだ。またここで決意も新たに、そして気持ちも強くなっていました。

※この連載は個人の体験です。治療や薬の処方などに関しては必ず医師に相談してください。

>>19話「心拍確認の前夜…」へ続く

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PROFILE
ミキさん
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ミキさん

あかほし主婦ライター。関西在住・40代。中学生の頃から多嚢胞性卵巣症候群と付き合ってきた体でも、もしかしたら妊娠できるかも…という楽天的な考えをもったまま、結婚式、仕事との兼ね合い、金銭面や夫婦同士のタイミング、クリニックとの相性まで…。ありとあらゆる複合的な理由から、40歳で(ようやく!)本格的に不妊治療をスタート。

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