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不妊治療・妊活のクリニック探し・情報収集ならあかほし 体験談 34歳ではじめた治療。怖がりでも「痛い・苦しい」が我慢できた!がんばれたのには理由があって【ニッチェ・江上敬子さんの妊活#5】

34歳ではじめた治療。怖がりでも「痛い・苦しい」が我慢できた!がんばれたのには理由があって【ニッチェ・江上敬子さんの妊活#5】

2024/02/10 公開
2024/02/29 更新

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実際、体外受精を始めたら、痛かったり、苦しかったすることが多いのは事実。そもそも、私は高所恐怖症なうえに、超怖がりですし(涙)。でも、不妊治療に関してはなぜだか、我慢できたんですよね!自分でも不思議です。

今になって分析してみると、それはドクターから「まだ可能性がありますよ!」という言葉をいただけていたこと、そして、「ここまでやったら、あとは無理!終わりにしよう!!」など、コンスタントかつ短いスパンごとに、ガス抜きしていたことがうまく作用していたのかも!?

だから、なんとかがんばれたんだと思いますね。


体外受精を繰り返し、念願の妊娠!妊娠を公表して、はじめてつけてみたマタニティマーク。

コロナ禍の妊娠で「私、ヤバいかも・・・」

妊娠中のつわりは、かなり軽かったんじゃないかな。期間も1カ月間ほどと短期間で終わりました。ただ、食べられないものがたくさん出てきてしまって、その期間は食べられるものを集中的に食べていましたね。なぜか、いなり寿司が大丈夫で、ひたすら食べていた時期も(笑)。

ちょうど妊娠6カ月を迎えたころ、当時はコロナ禍の真っ只中。ただでさえ、妊娠で情緒不安定なのに、得体のしれないコロナウィルス感染症とそれを取り巻く当時の空気感に、気持ちがズドーンと落ちちゃって…。

仕事もお休みしていた時期で、そのうえ、家事も思うようにできず、大袈裟に聞こえるかも知れませんが、社会から自分だけ取り残されたような気分に陥りました。「私なんて生きている価値がない」とまで考えてしまったことも。今思えば、ホルモンバランスの乱れからくるものでしょうが、そのときは「このままだと私、やばいかも」と思ってしまったこともありました。

関連記事→【平野ノラさん】きっかけはコロナ自粛「だれにも相談しない!まわりに左右されない!」

自宅で破水…!あわててタクシーで病院へ

そんな日々を過ごし、いよいよ出産!

私は無痛分娩を希望していましたが、実際は自宅で破水!「24時間以内に産まないと、赤ちゃんに細菌感染のリスクがある」ということで、急いでタクシーで病院へ向かいました。そして、即入院。

結果、8時間もの陣痛を経たあと、麻酔を打ちました。それでも、赤ちゃんが降りてこず、緊急で帝王切開をすることに…。長い長い道のりののち、約3,500gの大きな赤ちゃんを出産することができました!

次回
第2子に向けては、体外受精一択!大事な受精卵を子宮へ戻す前にしていたこと。の話へ続く

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取材・まとめ/濱田恵理

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1984年生まれ。島根県出身。相方の近藤くみこさんとお笑いコンビ・ニッチェ結成。お笑いコンテスト「女芸人No1決定戦THE W」では、2年連続決勝進出。TBS「王様のブランチ」など、レギュュラー番組も多数。 著書に『ニッチェ江上敬子のダンナやせごはん』など。
公式ブログ→「おいしいはなし」

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