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不妊治療・妊活のクリニック探し・情報収集ならあかほし 体験談 だいたひかるさん夫・小泉貴之さん【独占インタビュー①】 夫婦で乳がん再発を乗り越え、 命がけの不妊治療再開を支えた夫のホンネと葛藤

だいたひかるさん夫・小泉貴之さん【独占インタビュー①】 夫婦で乳がん再発を乗り越え、 命がけの不妊治療再開を支えた夫のホンネと葛藤

2021/10/01 公開
2023/11/22 更新

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妻の乳がんが判明したのは、初めての顕微受精をする当日のことでした。
その朝、不正出血があって移植が延期になり、予定があいたので、なんとなく受けた乳がん検診で腫瘍が見つかったのです。

私もわけがわからず、この先どうなってしまうんだろうと。がんは知っている、でも乳がんについては詳しくわからない…。頭が真っ白になりました。

妻がインタビューで答えていましたが、私がその日、医師に質問したのは、「乳がんでも赤ちゃんを産んだ人はいますか?」ということでした。すごいポジティブ!みたいに思われてますけど、実はそんな余裕ある話じゃなくて…。

それまで妻はずっとずっと不妊治療を頑張ってきた。

仕事もセーブして、大嫌いな注射を打って、ホルモン値を上げて、何度も採卵して。なのに、急に乳がんを宣告されて、一旦不妊治療を止めなければならない。今まで積み重ねてきた努力がパーンと一気に閉ざされたような感じで、それはもしかしたら妻にとって、乳がん宣告以上に辛いことなのかもしれない…。

せめてどちらかの辛さだけでも、今すぐに取り消してあげたいと思いました。
乳がんの治療が終わった後、不妊治療を再開できる!という希望があれば、少しは乳がん治療にも前向きになれるかもしれないと思ったのです。
「最悪」の状態より、ちょっとだけでも落ち込まずに家に帰りたかった。

幸い、先生は「乳がんでも赤ちゃんを産んだかたはたくさんいらっしゃいますよ」と言ってくれました。




妻が乳がんの告知を受けた夜、部屋中に貼った「大丈夫」の言葉。
当時の手描き文字をタオルにしました。不妊治療中のみなさんにも「大丈夫!」の言葉を贈りたいと思います。

「大丈夫!」の紙を家中に貼って運気アップ

あのころ、スーッと軸の通った支えてくれる言葉が欲しくて、「大丈夫!」と書いた紙を家中に貼り付けました。

「病は気から」と言いますが、悩んだり、いやなことを想像していると、本当に病気も悪化するかもしれない。
「大丈夫」の紙を見ることで、病気と闘う勇気が出てくればいいなと思ったのです。
大丈夫じゃなかったからこそ、自分にも大丈夫だ!と言い聞かせていました。

「大丈夫」という言葉は私のブログのタイトルにもしていますが、落ち込んだときも、絶対大丈夫だと信じて、病院や治療法を探したり、今自分にできる精いっぱいのことをやる。これをすれば大丈夫なんだから、一緒に頑張ろうよ!と、相手をあと押しする言葉でもあります。

私のことを妻は、「松岡修造さん並みのポジティブ」と言っていましたが、決して逆境に強いわけではないんです。
むしろ精神的に弱くて、石橋を叩いて、叩きすぎて割るくらいのタイプ(笑)。家を出る前も、電気消したかな、窓閉めたかな、と心配になって、何度も確認するくらい。

でも、後悔のないように最善を尽くした後は、大丈夫だ!と自分に言い聞かせて、前向きになります。妻が乳がん宣告されても、こんなことで凹んでいられない、絶対治らないわけがない!という熱い気持ちでした。

次回へ続く>>
乳がん再発、不妊治療リスタートからの妊娠。いよいよママ&パパに!

※この記事は個人の体験です。治療や薬の処方などに関しては必ず医師に相談してください。

取材・文/岩村優子 構成/伊藤絵里子

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1977年8月14日 埼玉県川口市出身 アートディレクター、グラフィックデザイナー
イギリスでフセイン・チャラヤンのテキスタイルデザイナーとして活動後、2005年に帰国し、Wieden+Kennedy Tokyoに入社。現在はフリーのアートディレクターとして活動中。お笑い芸人のだいたひかるさんと2013年に結婚。8年におよぶ不妊治療を経て、2021年5月に妊娠発表。
小泉貴之オフィシャルブログ「大丈夫」

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