胎嚢が空っぽ、赤ちゃんの心臓が動いていない、母子手帳をもらってから…。つらい流産をへてママになりました【10人の流産体験談まとめ】 | 不妊治療・妊活のクリニック探し・情報収集ならあかほし(赤ちゃんが欲しい)
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不妊治療・妊活のクリニック探し・情報収集ならあかほし 不妊治療コラム 胎嚢が空っぽ、赤ちゃんの心臓が動いていない、母子手帳をもらってから…。つらい流産をへてママになりました【10人の流産体験談まとめ】

胎嚢が空っぽ、赤ちゃんの心臓が動いていない、母子手帳をもらってから…。つらい流産をへてママになりました【10人の流産体験談まとめ】

2022/02/23 公開
2023/08/10 更新

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授かった命との思いもかけない別れ…。それでも、流産という悲しみを乗り越えてママになることをあきらめなかった妊活卒業生や、今まさに進行中のベビ待ちさんから、これまでに赤ちゃんが欲しいに寄せられた流産の体験談をまとめました。

流産を経験すると、「自分のせいではないか」「あのときのあの行動をしたから流産したのかも」と考えてしまいがちですが、原因がはっきりしないケースが多いので、自分を責める必要はありません。「妊娠できた」ことを前向きにとらえ、次の妊娠へのステップに繋げたいですね。

流産とは?

流産とは、妊娠22週までに何らかの原因で胎児が亡くなってしまうこと。

流産の多くは妊娠10週未満に起こり、流産の原因の6~8割は受精卵側(受精卵の染色体異常によって成長がストップ)の原因で起こる偶発的なもので、次の妊娠に影響を及ぼすことはありません。

初めての流産であれば検査の必要はなく、すぐに次の妊娠へトライしても大丈夫。ただし、2度以上流産を繰り返す場合や、妊娠10週以降の流産を経験した場合、医師から不育症の検査をすすめられることがあります。

実は妊娠初期の流産はひとりの女性が妊娠するなかで約15%の割合で起こるといわれています。
厚生労働省不育症研究班の調査によると、年齢階層別の流産率は 20-24歳(14.5%)、25-29歳(15.8%)、30-34歳(17.8%)、35-39歳(24.6%)、40-44歳(39.6%)というデータの報告があり、このことから35歳を過ぎると流産率は急激に高まるということがわかります。こうしたリスクを知っておくことが大切です。

厚生労働省|不育症に関する取組み「不育症管理に関する提言2021」より

【流産体験談①】
第一子を授かるまでに経験した2回の流産

不妊治療を経て第一子を授かったすずさん(34歳)の流産体験談。
決して順調とは言えない6年半の妊活期間で、第一子を授かるまでに体験した流産は2回。絶望を感じるとともに、耐え難い流産手術を2回も経験。忘れることのできない悲しい思い出をふりかえります。

人工授精で妊娠。しかし、7週で心拍確認できず

結婚して3年半、タイミング療法から人工授精に切りかえたところ、はじめて妊娠!喜びもつかの間、妊娠7週で心拍が確認できず、8週に入り、流産手術が確定しました。9週に入る日に流産手術を受けることに…。とても悲しく、淋しく、苦しく、言葉では言い表せない複雑な気持ちでした。

妊娠をすることがゴールかのように送ってきた不妊治療生活。ですが、妊娠をした後にもこんな苦しい思いをすることがあるのだと思い知らされました。

2度目は自然妊娠でしたが、前回同様に胎嚢は空っぽ

2度目の妊娠は、1度目の流産体験から1年半後。不妊の原因が子宮内膜症だと分かり、治療した後の自然妊娠でした。1回目の妊娠時と同様に生理予定日付近には着床出血と思われる微量の出血が。不妊治療は一旦ストップしていたため妊娠確認には近所の産婦人科を受診しました。

7週に入り、今度こそは!と願いながら再び心拍を確認するも、前回同様に胎嚢は空っぽ。
来週まで様子をみましょうと、8週まで様子をみることになりましたが、結局9週に入ったところで、2度目の流産手術を受けました。

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淡い期待を抱いた“超初期妊娠兆候”。そして、ひたすらツラかった“流産手術”の体験を書きます


【流産体験談②】
転院後、初の体外受精で妊娠。母子手帳をもらってからの流産…

私の不妊治療はいきなり体外受精からのスタートでした。
最初にかかった小規模の産婦人科で卵管造影検査を受けました。そこで両方の卵管に癒着が見つかり、片方には水腫もあって「あなたの場合、体外受精でしか妊娠しません」と告げられたのです。

その後、不妊治療専門のLクリニックに転院。そこで低刺激法の体外受精を採卵2回、移植4回行いましたが、卵のグレードは悪くないものの、妊娠の兆候は全く見えず、さらにRへの転院を決めました。

転院後すぐの体外受精で妊娠の陽性判定

ところが8週目で胎嚢、心拍を確認したものの、9週目に入ると赤ちゃんの心臓が動いていないことが判明。稽留流産の手術を受けました。

本当に悲しくてつらかったけど、よい面に目を向ければ、私って妊娠できる体なんだ!と知ることができたし、落ち込んでなんていられない!と、再び気持ちを切り替えました。

8回目の移植で陰性判定後に不育症の検査を受けたいと相談

不育症の検査の結果、子宮内の血流が悪く、血栓ができやすい状態とのこと。それ以降、ヘパリン注射を自分で打つことになりました。ヘパリン注射で子宮内の環境がととのったのがよかったのか、採卵4回、移植9回目で妊娠することができました。

妊娠判定後はクリニックで3回心拍を確認し、いよいよ不妊治療を卒業できるとウキウキしていました。しかし、分娩予約をした産院で4回目の妊婦検診を受けたところ…。
それまでは心拍もしっかりしていたし、赤ちゃんもどんどん成長し、安心しきっていたので、一体何が起きているのか、現実を受け止められない自分がいました。

稽留流産の手術をするとき、同時に絨毛(赤ちゃんになる細胞)をとり出して培養し、染色体異常がなかったかどうかを調べる検査「絨毛染色体検査」をすることになりました。

流産の原因は染色体異常

検査の結果、やはり染色体の異常が見つかり、ダウン症の確率がかなり高いということでした。

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【39歳】母子手帳もらってからの流産が辛すぎた。編集部も一緒に泣いた「不育症」


【流産体験談③】
心拍確認前夜の流産。世の中にこんなに悲しいことがあるんだ…

中学生の頃から多嚢胞性卵巣症候群と付き合ってきた体でも、もしかしたら妊娠できるかも…と楽天的に考えていたミキさん。

結婚式、仕事との兼ね合い、金銭面や夫婦同士のタイミング、クリニックとの相性まで…。ありとあらゆる複合的な理由から、40歳で(ようやく!)本格的に不妊治療をスタートさせました。

「40代 不妊治療」をテーマにリアル進行中の不妊治療体験をつづる、『赤ちゃんが欲しい』オリジナル連載です。アラフォーのリアルな妊活・不妊治療記録です。

「40歳」で初採卵&初体外受精は顕微授精一択

40歳での初採卵とあって、いわゆる“卵子の老化”は特に気がかりだったし、夫の精子の状態も決してよかったわけではなく…(医療の力でいい感じにしてもらいましたが!)私たち夫婦の体外受精は顕微受精一択でした。

体外受精の採卵と受精確認を終えて、移植へ。受精卵の移植後、待ちに待った判定日で、「4週3日 おめでとうございます」と書いた紙をいただき、40歳はじめての体外受精で妊娠することができました。翌週、胎嚢確認。次は7日後に心拍確認へ。

「流産が進行しています」

心拍確認の前日の日曜日、お昼過ぎにおなかの痛みと出血があり、日曜診療のクリニックを受診。クリニックへは自宅を出る前に簡単な症状を伝えていたこともあって、すぐに診察してもらうことができました。

そこで伝えられたのは、「流産が進行しています」という衝撃的なものでした。

子宮の奥にいた胎嚢が、どんどん子宮口へ向かっている。これを進行流産といい、もう止めることはできないと。おそらく今日中にはこのまま胎嚢が排出されるだろうから様子を見るのがいいと思うと医師から言われました。

強烈な痛み。大きな塊が出て…「これが流産か」

自宅に戻り、強烈な痛みに襲われてトイレに立ってみたら、大きな塊が排出されました。あ、出た、と直感でわかりました。これが流産だ、と。

悲しさ、悔しさ、不安、焦燥感、喪失感、ありとあらゆる感情があふれて、壊れたように泣きました。

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世の中にこんなに悲しいことがあるのだと知った。【ただいま進行中!アラフォー妊活記録#19】


【流産体験談④】
妊娠8週目「赤ちゃんが大きくなっていない…」

生理周期をしっかり管理して排卵日もチェックしながら妊活していましたが、なかなか2人目を授かることができず、2~3年ほど経過。できるだけ自然に妊娠したいという思いと、不妊治療にかかる費用などの不安から、なかなか病院にも行けず、ひとりでふさぎ込んで悩んでいたしずかさん。

待望の下の子を自然妊娠!無理なく過ごそうと…

妊娠初期に切迫流産と診断され絶対安静だった1人目。その子が3歳のときに念願の赤ちゃんを授かりました。ちょっとした努力の積み重ねがついに実を結んだんだと、家族で大喜び。育児をしながらの妊娠は、ゆっくり過ごすということが難しいので、夫や両親に協力してもらって、できるだけ無理をしないことを心がけながら過ごしました。

妊娠7週目あたりで1人目同様に出血

妊娠の喜びもつかの間、一度あることは二度あるもので、妊娠7週目あたりでまさかの出血。やはり出血となると心配なのですぐに病院へ。

先生には、「もう1週様子をみて、来週また来てくださいね」と言われました。
このとき、お腹の痛みなどはなく、出血があること以外は体調も良好だったので、ただただ元気でいてくれることだけを願っていました。

「赤ちゃんが大きくなっていません」頭が真っ白に。ほとんど記憶のない稽留流産

出血の翌週、赤ちゃんの様子を確認するために再び病院へ。エコーで見てもらうと、「赤ちゃんが大きくなっていない…」そう先生に言われた瞬間「これが流産だ…」とすぐに自覚しました。そのあとは頭が真っ白になって、ほとんど覚えていません。

その後「稽留流産」の手術を行いました。流産手術にかかった時間は1時間程度。しかも入院の必要はなく、日帰りでOK。本当に手術したの?と感じるほどあっという間の出来事でした。

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「産んであげられなくてごめんね…」お空に帰った赤ちゃんがお腹に戻ってきてくれた


【流産体験談⑤】
反復流産からのPGT-A。卵のグレードも子宮内膜も良好なのに…高齢妊活だから?

夫47歳、私が39歳での結婚だったこともあり、最初から赤ちゃんができたらいいねと話していました。自己流でタイミングはとっていたものの、そのまま半年が経過。その頃、夫から「一度病院で診てもらおう」と言われ、婦人科のかかりつけ医であるA病院に行くことにしたんです。

A病院は不妊治療に実績のあるドクターがいましたし、ある程度規模の大きな病院だったので、安心感もありました。

不妊検査の結果、夫婦ともに問題なし。
私のAMH値は実年齢より高く、夫の精子の運動率なども問題ありませんでした。ただ年齢のこともあり、時間的な余裕はないだろうと、人工授精はせずに、体外受精からトライすることにしました。

A病院では2回採卵しました。1回目の採卵では5個とれて、体外受精と顕微授精を併用し、3つが胚盤胞に。けれど、1回目の移植では着床せず、2回目は8週の胎嚢確認後に流産。3回目は着床しましたが、育ちませんでした。

同じような治療をしてもダメかも…。転院して検査をうけることに

A病院のドクターにすすめられ、受精卵の染色体数を調べる「着床前胚染色体異数性検査(PGT-A)」を受けられるBクリニックへの転院を決意。

Bクリニックは個人のクリニックで、対応もていねいでしたし、PGT-Aの実績も豊富。体外受精では「グレードのよい胚しか培養しない」というルールも、合理的でよいと感じました。

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夫婦逆転!?妊活熱高いアラフィフ夫 VS「こっそり飲みに出た」39歳妻


【流産体験談⑥】座談会
自分で出てきた子を拾って…、流産に慣れている自分も嫌…

妊活中の方が気軽におしゃべりできる場を作りたいと思い、スタートした「あかほしお茶会」。
今回は、流産、死産の経験をされた方にお集まりいただきました。

――本日はお集りいただき、ありがとうございます。
今回のテーマは「流産」。みなさんの経験をお話いただける範囲で構いません。教えてください。

Iさん:私は今まで化学流産を入れると3回経験しました。
一番最初のときは精神的にダメージが大きかったのですが、回を重ねるごとに「またか…」と。ちょっと慣れてきている自分がいますね

Hさん:私もです。2018年に経験した1回目がとてもつらかったです。タイミング法で授かって流産。年末のことでした。

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流産を経験しました/陽性がでても素直に喜べなくなりました


【流産体験談⑦】
1年に3回の流産。どうして私ばっかり…

結婚して1年後に男の子を出産してから、3回流産しました。

1回目は自然妊娠で胎嚢は確認できたのに心拍が確認できず、稽留(けいりゅう)流産。まさか、という気持ちがあり、「あと何週間か待てば心拍が確認できるのではないか。手術を待ってほしい」と思いましたが、手術前日に「もう逃げられない現実なんだ…」とあきらめました。

「痛い!やめて!」どうして私ばかりこんなに流産するの…

手術への恐怖に襲われる数日間を過ごしたあとの手術台の上では、涙がとめどなくあふれてきました。麻酔の効きが弱かったためか、「痛い!やめて!」と叫ぶ自分の声が、遠くで聞こえていたのを覚えています。

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1年に3回の流産。「痛い!やめて!」と叫ぶ自分の声が遠くで聞こえてきた


【流産体験談⑧】
おなかに鈍痛を感じ、病院のトイレでどろっとした透明のものが出てきた

自己流でタイミングをとり、3回目で妊娠。
妊娠7週で心拍が確認できてホッとしていたところ、トイレで茶褐色のごく少量の出血に気づきました。

少しおなかがチクチクする感じもあり、すぐに病院を受診。「心拍も確認できるし、この程度なら心配しなくてもだいじょうぶ」と言われました。でも、その後も1週間だらだらと出血が続いたので、仕事を休んで安静にすることに。

流産したのは、9週0日のことでした。

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よくある妊娠初期の出血だと思っていた【流産体験談】


【流産体験談⑨】
出血や腹痛、何の兆候もないまま9週目で心拍が停止

自己流のタイミング法で妊娠。妊娠6週目で産婦人科に受診して、8週目に心拍が確認できましたが、9週目の健診で心拍が停止していると告げられました。

出血や腹痛などの兆候は何もなかったし、流産するなんて思ってもいなくて…。

毎日おなかに赤ちゃんがいることが幸せで、夫婦で楽しみにしていたので、「心拍が止まっている。手術しましょう」と言われたときは自然と涙が止まりませんでした。そして、待合室にはほかの妊婦さんたち…。つらくてたまりませんでした。

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妊娠9週で心拍停止。出血もないまま流産していました…【流産体験談】


【流産体験談⑩】
夜中に腹痛。トイレへ行くと出血で真っ赤に…

もともと多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)があり、生理不順ぎみ。不正出血もあったので、31歳で結婚したときに病院へ行き始めました。クロミッドを飲みながらのタイミング法で半年~1年間くらい続けましたが妊娠せず。人工授精を3回しましたがダメでした。

当時、勤めていたサロンは、9時半に出勤して帰るのは23時ごろ。休みの日も撮影が入ったりして、ほとんど休みはなかったんですが、特に不満もなかったんです。

仕事が好きだったし、給料は歩合制だったので、休むと金銭面が不安という事情もありました。

退職を決意したのは、サロンで泣いてしまったあの日

通っていた病院の流れ作業的な診察もしだいにストレスになっていき、人工授精は3回までと決めていたこともあって、32歳のときに転院を決意。

体外受精へステップアップするにあたって、高刺激の排卵誘発は卵巣が腫れることもあると聞いていたので、より自然に近い低刺激での体外受精ができるクリニックを選びました。

はじめて採卵をし、2回目の移植で陽性判定が出たのですが、数日後、自宅で夜中におなかが痛くなり、トイレへ行くと出血で真っ赤に…。

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休むなんて考えられない!夜遅くまで仕事が当たり前な美容師が「赤ちゃんが欲しい」と思ったら

関連リンク⇒【片岡安祐美さん】自己流での妊娠、その後の流産について話します。独占インタビュー

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